この熱き人々

2020年5月25日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 JUJUが出した結論は、売れないという現実は耐えられるけれど歌手への夢を諦めることは耐えられないというもの。何度でも挑戦すると決めて千本ノックに耐えた先に、決まった3曲目は何とバラードだった。ニューヨークで自分が追い求めてきた方向とは違う。しかし、これがダメなら契約終了という状況の中では、全身全霊を傾けて臨むしかない。

 「バラードが正解なのかという迷いはあったけど、この曲が多くの人に届いて、初めて聴いてくれる人の姿が見えたんです。その時、自分が好きだから歌いたいというのはもういい。聴きたいと思ってくれる人が聴きたい曲を歌っていきたいと思った。それで私の中からジャンルが消えました」

音楽に囲まれ音楽に目覚める

 歌との出会いは、叔父が経営するスナックだったという。ここに親戚が集まって歌ったり踊ったりする。叔父は演歌専門。母はディスコミュージックが大好きで、シャンソン好きやジャズ好きの叔母もいる。あらゆる音楽が溢れていた中で耳を肥やしたJUJUが初めてマイクを持って歌ったのは、演歌「北酒場」。4歳の時だった。

 「2つ違いの姉がいて、何でもできる凄い子だったんです。人当たりもいいし、学校に行くようになれば勉強もできるし、運動も万能。比べられる妹にしてみると、もうやめてもらえませんかってくらいの存在で、ずっとコンプレックスを感じてたんです。で、店にカラオケが入って親戚中が集まった日に、姉も私も初めてマイクで歌ったら、私の方がみんなの反応が断然よかった。姉がいつも大人たちから受けているキラキラした視線が私に向けられて、初めて姉に勝てたと思った。幼心にも自分の存在価値が初めて見いだせた瞬間だったんだと思う」

 そんな自信と喜びとともに、JUJUの中で歌が特別なものになった。演歌からジャズまで何でも好き。小学校5年の時にはクラブミュージックに傾倒したり、その時々のマイブームの波を泳ぎつつ、ジャンルなど楽々と乗り越えて音楽の世界を自由に楽しんでいたのだろう。それがジャズに収束してニューヨークへの道になった。

 「歌ってごらんと言われて何でも歌うんだけど、ジャズだけは何か違和感があった。叔母がちょっとしゃがれた声で歌うとジャズっていいなあ素敵だなあと思うのに、子供のツルっとした声で歌っても何か変なんです。早く大人になってジャズを歌えるようになりたいなあと思ってた」

 中学卒業と同時にニューヨークに行きたかったが、さすがに高校を卒業してからと反対され、卒業を待ちきれない勢いでニューヨークに飛んで行ったという。

 「ニューヨークに行きさえすれば何とかなると本気で信じてた。初めてニューヨークに降り立った時には、これで私の人生がゼロから始められるって武者震いしたのを覚えてます」

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