あの負けがあってこそ

2020年8月16日

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 高橋真弓は、女子7人制と15人制ラグビー日本代表としてのキャリアを持ち、現在は国内で唯一の日本ラグビーフットボール協会公認女子A級レフリーとして、女子ラグビーの国内サーキット大会「太陽生命ウィメンズセブンズシリーズ」をはじめ、男子の「ジャパンラグビートップリーグ」や「日本選手権」「全国高校ラグビー(花園)」でマッチオフィシャルを務めるなど、高校生から社会人まで、また女子・男子の枠を越えて活動の場を広げ女子レフリーのけん引役として存在感を高めている。

レフリーを務める高橋さん

キャリアの階段を駆け上がる

 高橋は10歳のときに府中ジュニアラグビークラブでラグビーと出合いすぐに魅せられていった。以来、中学まで所属。自身がプレーするのみならず、地元の強豪社会人チームである東芝府中(現東芝ブレイブルーパス)の試合にもよく足を運んだ。

 「当時から国内トップレベルの試合を見るのが好きで、日本代表やレベルの高いプレーに憧れました。そのころから、やるからには、いつか私もという気持ちを持っていました」

 中学ではラグビー部がなくバスケ部に所属。高校進学は「日体大でラグビー部に入りたい」という理由から姉妹校を選んだが、ラグビー部はなく、在学中はバスケ部に所属する傍ら世田谷レディース(世田谷区ラグビースクールレディース)に加入して時間の許す限り参加しようと試みた。

 「ですが、部活動にほとんどの時間を費やされてあまり世田谷レディースに通うことができませんでした。ただ、その分ラグビーへの想いは強くなって、学校にラグビーボールを持っていって休み時間によく使っていました」

 高橋が本格的にラグビーに取り組んだのは日体大に入学してからのこと。そこからラグビーに没頭する競技人生が始まった。

 最初の転機は大学1年の終わりに訪れた。新設された女子7人制ラグビーU23日本代表に選出され「香港セブンズ」への出場を果たした。

 「若手の育成のためU23日本代表というカテゴリーが作られた年でした。それまで代表といえば日本代表しかなかったので、私にとってはいいタイミングだったと思います。あの年齢で国際大会を経験することができたのですから。選ばれたたときはとにかく嬉しかったです。ラグビーを始めたころから最終目標は日本代表だと思ってやっていましたから、そこに向けたスタートが切れました」

 高橋のポジションは、7人制はオールラウンダーで15人制ではセンターとして活躍。日本代表以外の試合では司令塔スタンドオフを務めたこともある。

 その後、2007年の香港セブンズにはU23日本代表のキャプテンとして出場している。また同年は、女子15人制の日本代表にも選出されアジア大会にも出場。順調にキャリアを積み上げていった。

 「大学1年で香港セブンズに出場して以来、何度か代表には選ばれているのですが、なかでも7人制の『ワールドカップセブンズ2009ドバイ大会』と15人制の『女子ワールドカップ2010イングランド大会』のアジア地区予選が記憶に残る大会です。

 代表歴としては7人制の方が多いのですが、個人的には7人制よりも15人制に重きを置いていました。ラグビーを始めたときから15人制の日本代表に憧れていたからです」

 高橋の目標は15人制のワールドカップ出場にあったということだ。

試合中に大怪我。長い闘いが始まる

 キャリアの階段を順調に駆け上がっていた高橋に人生最大の転機が訪れた。日体大を卒業した翌2010年7月に行われた『IRBアジアラグビーウィメンズセブンズチャンピオンシップ2010』(アジアセブンズ)のタイとの試合中に右ひざを負傷したのである。

 「日体大でプレイングコーチをしていた年でした。靭帯を2本損傷していて手術も2回する必要があり、その分、復帰に時間が掛かりました。

 あの大会のあと15人制の日本代表候補合宿に呼ばれていましたし、その翌月に行われる『女子ワールドカップ2010イングランド大会』を現地で観戦してトレーニングマッチを行う強化遠征が予定されていたのです。次回(2014年)のワールドカップ出場に向けたステップと考えていたので、怪我とはいえ心の整理がつかず複雑な思いを抱えた入院になりました。

(補足:女子15人制日本代表は、前年に行われた『女子ワールドカップ2010イングランド大会』アジア地区予選でワールドカップ本戦への出場権を得ることができなかったため、同大会に合わせ強化遠征が予定されていた)

 「この怪我が私の競技人生最大の転機となりました。長い入院とリハビリ生活の中で気づいたことは、私からラグビーを取ったら何も残らないじゃないかというラグビーへの強い想いでした。怪我が気づかせてくれたようなものです。

 復帰するまでにはかなりの時間が掛かりますが引退するつもりはありませんでした。だから、入院中でもやれることは、やっておこうと思いました」

 そこで取り組んだことはベッドの上でもできる上半身の強化とルールの再勉強だった。グラウンドから離れている間にルールの曖昧さを無くしておこうと考えたのである。

 「怪我から約1年後にグラウンドに戻りました。復帰したら次回のワールドカップ予選に向けて頑張ろうと思っていたのですが、実際に戻ってみると体の感覚がまったく違っていたのです。ショックでしたね。若い選手たちが上がってきていたこともあって自信を失ったといいますか、目標にしてきたワールドカップ出場という目標が大きく揺らぎはじめました」

 高橋が負傷した前年、7人制ラグビーが2016年のリオ・オリンピックから正式競技に採用されることが決まっていた。これを境にワールドカップを頂点とする15人制ラグビーとは異なり、オリンピックを頂点とした7人制ラグビーがにわかに脚光を浴びる競技となった。もともと競技人口が少なかった女子ラグビーに世界の大舞台を目指して他競技から優れたアスリートたちが参戦し始めたころでもある。

 スポンサー企業が現れ、女子7人制に特化したチームが新たに生まれ、メディアにも取り上げられる機会が増えていった。こうして女子ラグビーを取り巻く環境が激変するなか、高橋はなにを思っていたのだろう。

 「確かにオリンピックに採用されたことは女子ラグビーには大きなインパクトがあったと思うのですが、他競技から転向してくる選手たちが目指しているのは7人制の日本代表です。私の目標はあくまでも15人制の日本代表としてワールドカップに出場することにありましたから、それほど影響を受けるということはありませんでした。周りのことよりも、まずはしっかり自分と向き合うことだと思っていました」

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