今回はラグビーの魅力を語らせたら右に出る者はいないというラグビージャーナリストの村上晃一さんとラグビーマガジン編集長の田村一博さんの対談の後編です。(前編はこちら)
日本ラグビー最大のターニングポイントとなったオールブラックス戦
――前編ではラグビーの黎明期から一時代を築き上げていく過程を振り返っていただきましたが、ここからは日本代表とラグビーワールドカップについてお聞きしていきます。
記憶に新しいところでは日本代表は2015年のワールドカップで優勝候補であり世界ランク3位の南アフリカを破って世界のラグビーファンを驚かせました。
それまで日本代表は第2回大会(1999年)のジンバブエ戦以来、24年間も勝利がなかったわけですから、まさに歴史的な快挙と言えますね。
なにが日本代表を変えたのでしょうか?
村上:長い間アマチュアリズムを守ってきたラグビーも1995年にアマチュア規定を撤廃し、オープン化といってプロ化していくのですが、第3回大会(1995年)まではほとんどの国の選手が職業を持っていました。もちろん日本でもアマチュアスポーツとしてラグビーをしていました。
田村:そこで大変なというか、目が醒めるような出来事が起きました。日本ラグビー最大のターニングポイントです。
村上:その第3回大会に日本代表はニュージーランド代表のオールブラックスに「145-17」という歴史的大敗を喫してしまったのです。
当時アマチュアとはいえニュージーランド、オーストラリア、南アフリカは実質的にプロとしてラグビーをしていました。だから、アマチュアのチームがワールドカップに出場したら、プロの集団が出てきてしまったという結果になったのです。
日本はルール通りアマチュアを守り続けていたのですが、世界とは大きな隔たりができていました。
あのときはラグビーマガジンの編集長をしていたときで、現地取材には編集部の人たちに行ってもらって、僕は家のテレビで試合を観ていたのですが、4トライを取られたときから「これはえらいことになる」と思ってメモを取る手が止まってしまいました。
――日本中のラグビーファンがテレビの前で凍り付いたのではないでしょうか。ラグビーマガジンの編集部でも予想をはるかに超えた点差だったということですね。
村上:100点差くらいでなんとか……。オールブラックスもメンバーを落としてくるし、と思っていたのです。
あれでラグビーマガジンの販売部数が極端に減りました。こんなにも影響がでるものかと驚きましたね。
田村:詳しくはお伝えできませんが、驚くほど減りましたね、我々にはそれもショックでした。
村上:ファンの方たちはショックが大きすぎていったんラグビーから離れたくなったんじゃありませんか。もうラグビーなんて見たくもないって感じで。
でもね、あの号は僕が編集長として手掛けた中ではかなりいい内容だったんです。それなのにあの落ち込み方ですからね。あれから部数が戻るのにかなり時間が掛かりましたよね。
田村:いえいえ、まだ戻っていないです(あっははは)。
1995年のワールドカップ後に一気に落ち込んでしまいました。それ以降、日本ラグビー界に長い間あまりいい出来事がなくて販売部数も伸びていきませんでした。
もちろん落ち込みはあの試合だけが理由ではではありません。活字離れとか、いろいろな要因が合わさっています。いまラグビーマガジンがあるのは固定ファンのおかげです。
僕はベスト4から現地に行ったのですが、外国人から「日本人が何しに来たの? 145点も取られたんだよ」と言われたことを覚えています。
村上:あれで日本は弱いと世界に印象付けてしまい、それが払拭されるのは2013年のウエールズ戦勝利、2015年の南アフリカ戦勝利まで待たなくてはなりませんでした。