河は眠っていない
「河は眠らないけど、開高は眠った……」
祝辞に立ったサントリー会長の佐治敬三氏が言葉に詰まった。専務時代に社員の牧羊子の口利きで開高を入社させた佐治氏は、開高からルアー釣りを銀山湖で教わった人でもある。
だが、謝辞の牧羊子夫人はいたって意気軒昂だった。
「風と水と石碑、渾然一体となったコスモス。これは4次元、5次元の世界だ。(中略)私は、河は眠っていないように、開高健も眠っていないと思います!」
この時は予想もしなかったが、それから3年後、式場で終始無言だった娘の道子氏は鉄道事故(自殺?)で死亡した。佐治氏は1999年に80歳で亡くなり、開高夫人の牧羊子も2000年に76歳で逝去した。
3人が亡くなってから約4年後の2004年1月。私は『週刊朝日』の取材で、写真家の秋月さんとベトナムのホーチミン市に行った。
仕事が一段落してから、開高が臨時特派員時代に約100日間滞在していたというマジェスティック・ホテルを訪ねてみた。
サイゴン川に面したコロニアル風ホテルである。開高の泊まった103号室は、ドアの横に説明の金属板があったが、宿泊客がいたので見学できなかった。代わりに、屋上のレストラン跡地に行ってみた。薄茶色の川の向こうにメコン・デルタの水田地帯が広がっている。
「開高さんはここからいつも対岸を眺めていたんだね。たまに、砲火とか」
「コニャックソーダを飲みながらね」
開高がベトナム戦争を描いた作品は、発表当時20歳前後だった私たちに強い影響を与えた。「世界を知るには、現場に身を置き、そこでもがき、考えねばならない」。開高が身をもって示した意志の何十分の一かは、ルポライターという職業を選んだ私自身も受け継いでいるのでは、と思った。
「開高さんに決定的影響を与えた、ベトコンの少年が公開処刑された現場に行ってみましょうか?」
「ペンタイン市場前の広場でしたね」
私たち2人はホテルを出て、炎天のドンコイ通りを歩き始めた。
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