山口県岩国市錦町宇佐郷は平家の落人伝説が残る里だ。ここで山口フィナンシャルグループ(YMFG、下関市)の山口銀行員が2020年4月に「バンカーズファーム」という会社を立ち上げて農業を始めた。以前は農業事業のファイナンスを担当していて社長に就任した植木智規さん、岩国の酒屋に出向して清酒造りをした経験がある三草宏樹さん、実家が兼業農家で唯一農業体験がある笹木将徳さんの3人だ。生産するのはワサビ。ワサビと言えば、静岡県と長野県が生産量で全国1、2位と他を大きくリードするが、かつては山口県も産地として知られていた。
銀行員がどうして志願してまで、しかも農業をするためにこんな山奥の町にやってきたのか。社長の植木さんは「危機感です」と、即答した。YMFGの行員の多くが「将来も自分たちの仕事はあるのだろうか?」と、疑問を抱いている。地域経済が衰退していくなかで従来型の金融サービスだけでは、自分たちの存在価値がなくなってしまう……。
そんな危機感からYMFGでは、5年前から「リージョナル・バリューアップ・カンパニー」というコンセプトのもと、地域課題を掘り起こしてビジネスを通じて解決するという取り組みを始めた。バンカーズファームもそのうちの一つだ。
ではなぜ、ワサビだったのか。事業の企画を担った植木さんは「地元にどんな産地があるのか調べているなかで発見したのがワサビだった」という。ただ、かつてのワサビ産地も生産者の高齢化や後継者不足で往事の賑わいが失われていた。
産地を復活させるにしても、そもそもビジネスとして成立するのか。
植木さんは、さっそくリサーチを開始した。すると、スーパーマーケットなどで販売されているチューブ入りワサビの原料は中国産やベトナム産であることが少なくない。そうしたなか、食品表示基準が改正されたことで、22年4月から原料原産地も表示が義務化される。そのため、ワサビメーカーが国産品への注目度を高めていることが分かった。ただし、植木さんたちは「農業の素人」。そこで、地元で生産するワサビ農家に教えを乞うことにした。産地を復活させたいという植木さんたちの思いを聞いて、快く引き受けてくれたという。
農地にワサビ栽培用のビニールハウスを11棟建てた。最初の1棟は植木さんたちや地域住民で協力して建てた。「業者に任せきりにするのではなく、まずは自分たちでやってみることで、ノウハウが蓄積できる」と、三草さん。農地の整地は、笹木さんが重機で行い、20年11月から12月中旬までに全てのハウスへの植え付けを完了させた。土づくり、苗の植え方、水やりの量とタイミングなど、ワサビ農家の指導のもと行い、それらは全てスマートフォンのアプリを使用して記録に残している。今後、新規就農者が誕生した際に、ノウハウとして提供するためだ。