2024年12月23日(月)

佐藤忠男の映画人国記

2012年10月16日

 日本で最初の女優のスーパースターは栗島すみ子(~1987年)である。1902年、渋谷の道玄坂の生まれで、1921年、日本の映画界でそれまで人気のあった女形を止めて女優に変えようという動きがまき起こったとき、新劇や児童劇の舞台から発足したばかりの松竹蒲田撮影所に入ってたちまちトップのスターになったのである。当時、女優というとまだ水商売と考えられ,芸者などからスカウトされる場合が多かったのに、彼女は父親が新派劇の作家でお嬢さんふうの良さが新しさとしてファンに受けたようで、小津安二郎がアメリカ映画ばりに作った「お嬢さん」(1930年)などというモダーンな作品にも良く、メリー・ピックフォード(1892~1979年)が「アメリカの恋人」と呼ばれたのをなぞって「日本の恋人」というキャッチフレーズが工夫されたりした。

『お早よう』 DVD発売中¥3,990(税込)
発売・ 販売元:松竹
(c)1959 松竹株式会社

 映画デビューは粟島すみ子より少々遅いが、1897年の生まれで年齢は5歳上なのが飯田蝶子(~1972年)。浅草区新堀端(現台東区)の生まれである。上野のデパート松坂屋の店員から新劇の女優になり、1922年に松竹の女優募集に応募して蒲田の大部屋に入った。最初「女優なんかになれる顔じゃない」と言われたが、「いい女ばかりじゃ活動写真はできない」と反論した。以後、端役・脇役に専念しながらちょっとした滑稽な仕草などに工夫をこらし、若い頃からおばさん役の名脇役となり、以後半世紀以上、愛すべき庶民のおねえさん、おばさん、おばあさんを演じつづけた。小津安二郎の「一人息子」(1936年)や「長屋紳士録」(1947年)はなかでも名演で、善意の庶民の理想像と言っていい。

 1894年生まれの三好栄子(~1963年)は神田神保町(千代田区)の生まれ。島村抱月の芸術座附属演劇学校出身だというから新劇の名門の出だ。映画に出るようになったのは戦後だが、ぬーっと現れる姿だけで男たちが気圧されてしまうような庶民のおばあさんはこの人が一番。やはり小津安二郎の「お早よう」(1959年)で、押売りの前に包丁を持って現れたお婆さんの凄みとおかしさといったらなかった。

 梅村蓉子(~1944年)は1903年、日本橋蠣殻町(中央区)の生まれ。幼い頃から踊りを習い、中州の真砂座で新派劇の子役に出るという、典型的な下町娘である。お伽劇では栗島すみ子が先輩で夏川静江とは共演した。下町好みの可憐な風情で松竹蒲田、日活京都でスターとして活躍するが、中年になってから出演した溝口健二監督の不滅の傑作「祇園の姉妹」(1936年)の昔気質の芸者が見事な演技である。


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