2024年4月20日(土)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年10月6日

突然尖閣問題を切り出した田中角栄

 日中国交正常化のため北京入りした田中角栄首相が周恩来首相との間で交渉を進めていた1972年9月27日。日本側外交文書によると、田中角栄は突然、こう切り出した。「尖閣諸島についてどう思うか」。尖閣をめぐる領土問題は存在していないとする日本の外務省も想定外の発言だった。

 これに対して周恩来は「今回は話したくない。今、これを話すのはよくない。石油が出るから、これが問題になった」と返した。

 中国が尖閣諸島の領有権を主張し始めたのは70年代に入ってからで、国連の学術調査が68年に、尖閣付近での石油資源埋蔵を報告したのが契機だった。日本外交当局者は、周の発言について「石油の存在があって初めて尖閣は自分の領土であることを認めた」とみて有利な材料としており、「この外交記録を公表すればいい」とする外務省幹部もいる。

 しかし中国側の主張は違う。日本が実効支配しているにもかかわらず、田中氏が尖閣問題を自ら切り出したのは「領土問題の存在を認めたもので、両首相の間で釣魚島問題の『棚上げ』という共通認識ができた」(中国外務省幹部)ものと見ているのだ。

「棚上げ論」という名の「信頼」

 ここに尖閣問題の「原点」があるが、鄧小平も1978年に来日した際に「われわれは知恵が足りない。次の世代は賢くなるでしょう」と棚上げ論を提唱した。中国政府は外交交渉の場で事あるごとにこの「共通認識」を取り上げるが、日本の外交官は「そんな共通認識はない」と反論を繰り返してきた。

 しかし両国、特に両国の政治家は、尖閣問題について「これまで触れてはいけない問題」と位置づけてきた面は否めない。92年に中国は、尖閣諸島の領有権を明記した「領海法」を制定し、波紋を広げたこともあったが、中国側が主張する「暗黙の了解」は、両国政治家が「信頼」であまり波風を立てないよう守ってきたものだった。

 靖国神社参拝問題で中国を困らせた小泉純一郎首相ですら、2004年に尖閣諸島に上陸した中国人活動家を即座に強制退去処分にした。靖国問題はあっても、台湾問題と尖閣問題で冷静に対応としたとして小泉を評価する中国政府幹部は多い。

 しかし民主党政権は違った。2年前に衝突事件を起こした中国漁船船長を国内法で逮捕・送検したのに続き、今回は日本国内のルールで「国有化」した。これに対して中国側は40年前の国交正常化時に田中角栄・周恩来両首相が達した「棚上げ論」という「信頼」を一方的に壊したものとみなした。


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