2024年12月22日(日)

オトナの教養 週末の一冊

2021年5月26日

あの頃に失敗したから、まだよかった

 現役を振り返ると、ベストバウトは(ミスター)ポーゴさんとの試合。有刺鉄線バットを日本で初めて使った試合ですね。最後は、ポーゴさんが僕の頭に灯油をまいて火を燃やす。あの試合は、中身が濃い。全部がポイント。僕のプロレス人生は、ポーゴさんとの試合で始まり、ポーゴさんで終わった気がする。

 ポーゴさんは1980年代半ば、新日本で前田日明さんや高田延彦さんたちといい試合をしていたけど、希望通りには活躍できなかったようですね。初めから、シリーズでの最終順位が決まっていて、それに不満があったみたい。「俺はいつも6位だよ」って言っていました。その後、デスマッチに移り、大活躍したからよかったんじゃないですか。

 ポーゴさんは引退後、事業をしたんだけど、失敗し、晩年に復帰。体はボロボロで、眉毛が白くなって。ご本人は「もう、やめたい。みっともない」と話していました。引退後はごく一部の選手を除いて、多くは生活が大変なんですね。

 僕も店の経営をしてから、失敗の連続。初期の頃に店舗をチェーン展開し、1000万円程の借金に。ラーメン店も経営したけど、うまくいかずに1000万円程の借金に。嫁さんと「あの頃に失敗したから、まだよかった。今の年齢では取り返しがつかないかもしれない」と話し合うことがあります。もう、絶対に手は広げません。

 開店当初に比べると、社員も育ち、それぞれの仕事をきちんとこなすことができます。肉の仕込みを専門にする担当者もいて、以前よりは僕の負担は少ない。20歳前後の彼らは、僕がプロレスラーだったことを詳しくは知らない。関心がないようです(苦笑)。社員や嫁さんには恵まれているんでしょうね。僕は今もほぼ毎日、お店には行って厨房で仕事をしています。70歳までは、続けたいんです。

 僕はフェイスブックの「昭和のプロレス」などに時々、書き込みをしています。よろしければ、ご覧ください。この前、ある方が「覆面レスターで最も強かった選手は?」と書いていた。「エルネック。海外で試合をした際、僕の体を軽々持ち上げた。あれは本物」と答えたんです。そんなやりとりを喜んでくれる方が多いみたい。マスクド・スーパースターとも晩年に試合をしましたが、強かったですね。昭和のプロレスラーは規格外。

 『オープンから24年目を迎える人気ステーキ店が味わった デスマッチよりも危険な飲食店経営の真実』もぜひお読みください。

静かな町並みに構えた店。東武亀戸線・東あずま駅から徒歩4分
【ステーキハウス「ミスターデンジャー」】
墨田区 立花 ステーキハウス ミスターデンジャー ハンバーグ プロレス パーティー (mrdanger.jp)
東京都墨田区立花3-2-12 田中ビル1F
(東武亀戸線・東あずま駅から徒歩4分)
TEL:03-3614-8929
定休日:水曜日

  
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