前回と今回、次回の3回連続で、新日本プロレスのレフェリーやマッチメイカー、審判部長を務めたミスター高橋さんに取材を試みた内容を紹介したい。今回は、その2回目となる。
高橋さんは引退後の2001年、『流血の魔術 最強の演技―すべてのプロレスはショーである』 (講談社) を書き著したことでいちやく話題になった。プロレスは、試合をする前に試合展開や勝ち負けが決まっていること、さらには流血試合の真相まで詳細に書かれた内容だ。当時、「プロレスの裏を暴露した」という批判もあれば、「プロレスを新たな見方で観戦できるようになった」という肯定的なとらえ方もあった。
いずれにしろ、その後も読まれ続け、今なお、話題の書となっている。1970~90年代の新日本プロレス黄金時代を支えたアントニオ猪木選手、坂口征二選手、藤波辰爾選手、長州力選手らの試合を数多く裁いたレフェリーが語る「使えない部下・使えない上司」とは…。
Q 『流血の魔術 最強の演技』(講談社)が2001年に発売された数年前から、総合格闘技の試合がテレビで放送されるようになりました。多くのプロレスファンが、試合を観て違和感を覚えたのではないか、と思うのです。プロレスは「真剣勝負」と言っていたが、実は総合格闘技こそが真剣勝負なのではないか、という受け止め方です。あの頃、数人のプロレスラーが総合格闘技の試合に出ました。試合展開はもちろん、動きや顔の表情すら、プロレスの試合の時とまるで違うのです。ところで、あの本が世に出回り、選手たちからは抗議を受けることはなかったのでしょうか?
高橋:現在にいたるまで、選手からも、会社(新日本プロレス)からも一切ありません。当時、私は中途半端な思いであの本を書いたのではないのです。プロレス界から何らかの連絡が来るのをむしろ待っていました。私に何かを言って、それが公の場になることを危惧したのかもしれませんね。あの本に書いたことは、100パーセント事実です。暴露本という安易な思いで著したのではありません。観客動員数が落ちてきた現状を憂いて、将来を見据えた「プロレス業界への提言書」という思いで書きました。
最近、私は関係者から招待券をいただき、プロレスを何度か観戦をしていますが、私が現役であった頃と比べるとずいぶんと変わったように見えました。まず、お客さんのマナーがよくなっています。かつては、試合会場で「八百長…」「金返せ…」といった嫌な言葉を耳にしました。今は、そんなことを聞きません。お客さんが選手に声援を送り、乗せていくのが上手い。ヒールの選手が反則行為をすると、ブーイングをします。選手もそれを喜んでいます。選手と一体化して、皆で楽しんでいるのです。たぶん、試合会場を後にするときに満足感があると思うのです。
私が現役の頃は、お客さんからするとどうも納得がいかずに、モヤモヤしたものが残り、会場を後にしたことが少なくなかったように感じます。「真剣勝負」と言いながら、たとえば、見え透いた「両者リングアウト」のような結果になると、不満になるでしょう。今は、そのような時代ではありません。お客さんはプロレスがショービジネスであることをわかっているからこそ、このように観戦することができるのです。『流血の魔術 最強の演技』を出して、多くの人に読んでいただきましたが、あらためてよかったと思っています。
私が『流血の魔術 最強の演技』を書こうと思った1つのきっかけは、引退後に高校で「基礎体力講座」の講師をしていたときの経験です。当初、プロレスの話をすることを極力避けていました。それでもあるとき、生徒に「プロレスの試合は観るの?」と何気なく尋ねたところ、帰って来た言葉が、「あんな八百長は観ませんよ」でした。私は、返す言葉がなかったのです。「八百長」という言葉は長年、プロレスの世界にいた私が最も嫌うものでした。
生徒たちからは、その後も次々と質問を受けました。「なぜ、相手の選手をロープに投げると、その選手はわざわざ戻ってくるの?」「ボクシングでは殴り合いのときに顔をブロックする。プロレスでは、どうしてブロックしないの?」「相手の選手がトップロープに上がるときに、なぜ、やられるのがわかっていながら寝転がって見ているの?」…。いずれにも、私は答えることができなかったのです。
私は長年、プロレスの裏面を隠し通し、リングのど真ん中にいました。引退後に若者とじかに話し合うことで、それまでは試合を客観的にとらえることができていなかったのだと気がついたのです。今は多くの人がプロレスの仕組みを心得たうえで、試合を心から楽しんで観ているのですから、時代が変わったのだと実感しています。