2024年4月27日(土)

Wedge REPORT

2021年7月7日

 「シルクから血管を作ることができます」と話すのは、奄美大島で絹(「シルク」)を主原料にした無添加化粧品や、サプリメントの開発・販売を行うアーダンの西博顯社長だ。西さんは、京都大学医学部卒業後、基礎研究を続けるため大学に残っていた。その後1995年に故郷で母親の里依さん(現会長)が立ち上げたアーダンの運営を引き継ぐことになった。決断の背景と、「シルク」の驚異的な能力について聞いた。

奄美大島はシルクロードの終着点

 蚕を育てて繭からシルクを作る「養蚕」は、紀元前2500年頃に中国で始まったとされる。その後、シルクは中国の長安からローマまで広がり、その交易ルートはシルクロードになった。この東側の終着点とされているのが、奄美大島だそうだ。

 紀元前200年頃に稲作とともに伝えられた養蚕は全国に広がり、京都の西陣織など日本独自の織物を生む。奄美大島では西暦700年代に養蚕や絹織物が始まったとされ、江戸時代以降「大島紬(おおしまつむぎ)」として日本を代表する着物として知られるようになり、フランスのゴブラン織、ペルシャ絨毯と並び世界三大織物と称された。

 明治維新後、外貨を稼ぐためにシルクの輸出を国策の一つとし、立ち上げられた「富岡製糸場」などは有名だが、第二次世界大戦の敗戦後、再度、外貨を稼ぐためにシルク製造に力が入れられた。その産地の一つとなったのが、奄美大島だった。

 「昭和40年代までには、シルク製造のおかげで非常に好景気でした。それこそ、ビールで足を洗うということまであったそうです(笑)」と、西さん。しかし、着物離れなど生活スタイルの変化や、国産の絹に比べ安価な外国産の輸入、化学繊維などが普及していくなかで、絹糸や大島紬の国内需要は低下し、奄美大島の基幹産業であるシルク産業は、あっさりと斜陽化していった。西さんの父親は大島紬の染色、里依さんは機織りをしていたが、父親は建築会社を興し、里依さんは大阪に本社を置く化粧品の会社の販売員となった。

 その後、全国でトップ5に入るセールスをあげるほどの努力をした里依さんは、「今度は自分が納得できる化粧品を作りお客様に貢献していきたい」と思うようになった。そのとき、里依さんの情熱に打たれた西さんは、会社設立を後押しすると同時にシルクを化粧品の材料にすることを進言した。昔からシルクは手術の縫合に使われるなど皮膚との相性がよい素材だったことや、繭に触れたり絹糸を紡いでいた里依さんたちの手がきれいだったことがその理由だったという。

 「〝シルク〟というのは、昆虫が出す糸状のものを指します。素材はタンパク質になります。だから、クモの糸もシルクなんです。ただ、クモの糸の特徴は、弾力性や強靭性にあります。このクモの糸が持つ性質に着目し人工的に素材を合成し製品化しようとしている山形県の『スパイバー』さんのようなバイオ素材開発会社もあります。一方で、蚕(カイコ)が出すシルクは、いわば子宮のようなものです。シルクの繭のなかで幼虫が育つため、温度と湿度が一定で、雑菌が入らない、紫外線に強いといった特徴があります」と西さんはシルクの持つ特性を語る。

 大島紬の織り手としてシルクに触れてきたなかでその良さを体感し、何とかシルクを活かせないかと考えていた里依さんは、西さんの勧めもあり、シルクを主材料とする自然素材の化粧品を作ることを決めた。西さんにアドバイスを受けながら、自宅の台所でシルクを溶かして自分や家族の肌で試行錯誤を繰り返すこと約1年、里依さんは界面活性剤を使わず国産原料の絹(シルクペースト)を最大約90%近い高配合で使用する化粧品を完成させた。

 そして1995年に、里依さんは化粧品の製造・販売会社アーダンを立ち上げた。しかし、当時すでに、養蚕業は奄美大島では廃れており、原料のシルクは他の産地に求めるしかなかった。蚕のシルクは、アジアではベトナム、タイなどでも生産されているが、化粧品は肌に直接触れるということから、高コストにはなるものの品質が高い国産にこだわった。

 また、原料だけでなく製造にもこだわり、アーダンの製品基準を満たす生産委託先がないことから奄美市内に自社工場を建設した。

アーダンの工場

 里依さんがこだわりぬいて作った化粧品は、百貨店の鹿児島物産展などで購入した客を通じて口コミで拡がり、創業後売り上げは右肩上がりで順調に伸びていた。しかし2008年のリーマン・ショックを受け一転して経営環境が悪化。それまで商品開発や厚労省への申請などのサポートをしていた西さんは、大学の研究室を去り、本格的に事業に参画した。

 2010年には社長に就任し、「奄美大島の地域再生」「海外展開」「再生医療に関するシルクの研究」の3つの戦略を立てた。2011年に奄美大島の養蚕を復活するため株式会社奄美養蚕を設立、蚕の餌である桑の栽培のため畑づくりに着手し量産化の実現を図ったり、2013年には医薬部外品を製造できる衛生基準(クラス1000レベルのクリーンルーム)を持つ新工場を設立するなど、奄美大島の伝統産業である養蚕業の復活と雇用確保や地域再生を進めた。さらに同年には化粧品の本場フランスに現地法人を設立、市場調査などを経て2015年からは店舗・ネットを通じた販売を開始するなど、海外展開も果たした。

 また、シルクの可能性を研究するために、東京農工大学にあるシルクの医療分野への利用を専門とする研究室に入った。会社経営者と医学研究者を兼務する形だ。


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