2024年12月9日(月)

故郷のメディアはいま

2012年12月20日

 橋本は母校に2万冊の蔵書を寄贈し、図書館をオープンしようと動き出す。といっても、橋本は自らの蔵書を送り届けただけで、体育館を清掃し本をジャンル別に揃え図書館らしく体裁を整えていったのは地元のおじさん・おばさんたちだった。おじさん・おばさんたちは弁当を持ち寄って集まり、世間話をしながら「橋本五郎文庫」のオープンに向け精を出した。

 こうして東日本大震災が発生後の2011年4月28日文庫がオープン、そこは地元の人たちの心の拠りどころとなった。

 だが、好事魔多しだ。文庫開設1周年を前にした2012年の4月13日の深夜、橋本の妻がくも膜下出血で倒れた。意識不明の状態で救急車で運ばれた妻は、緊急手術を受け一命を取り留めた。その後も脳血管攣縮(れんしゅく)や水頭症、感染症などに襲われる中、橋本はほとんどの仕事を控えて病院に通った。1カ月半後には幸いリハビリ専門病院に移るまでに回復する。その最中、橋本は医師に相談したうえで文庫の1周年に駆けつけた。『ウェークアップ』のMCを務める辛抱治郎も無報酬で記念イベントに参加した。その日、人口500人ほどの村に、700人もの人が集まった。入館者は、1年で5000人を超えた。そこに至る経緯は、地元の人たちは皆知っている。

 もう一つは、ラジオ・テレビ兼営局のABS秋田放送で週1回のレギュラーテレビ番組『五郎が斬る!』を持っていることだ。ヒト・モノ・カネが国境や県境を越えて動くグローバル化の波は、秋田県に住む人たちのも大きな影響を与えるようになっている。今世界はどう動いているのか? この先何が起きるのか? は県民にとってもおおきな関心事だ。そこで、秋田人による、秋田の人のための、ニュース解説を視聴者に届けようと11年春から始まった。番組では、橋本が図表や文字を愛用の万年筆で示しながら、時に秋田弁を交えながら分かりやすく平易に解説している。視聴者からの質問に答えるコーナーもある。

イベントに主催者として名を連ねる秋田魁新報社

 秋田県民の高い支持を受ける橋本だが、実は困ったこともある。12年9月、橋本は同じ秋田出身の脚本家・内館牧子、水泳の日本代表としてオリンピックに参加した長崎宏子とともに秋田市内で講演した。主催は県紙の秋田魁新聞とABS秋田放送。通常地元メディアが主催者の場合、自らの媒体でその催しを伝える。ところが魁新聞は、内館や長崎の講演内容は紙面化したのだが、橋本の話は1行も報じなかったのである。

 そこには同県内の新聞・放送各社だけではなく、全国紙や東京キー局入り乱れての複雑なメディア地図が横たわっている。


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