2024年4月26日(金)

INTELLIGENCE MIND

2021年12月6日

 そして2006年11月にはこのマルコフ事件を彷彿とさせるような事案が再び起こった。元KGB/FSBのスパイであったアレクサンドル・リトビネンコがロンドンで毒殺され、そのニュースが世界中に報じられたのである。

 現役時代、リトビネンコはFSBでの暗殺工作に嫌気がさし、同庁を告発したことで有罪判決を受けている。その後、00年に英国へ亡命し、そこからプーチン政権の批判を続けた。その結果、06年11月1日にロンドンの回転寿司店で毒を盛られ、同月の23日に亡くなっている。

 この事件に対し、英国政府はロンドン警視庁だけでなく、保安部(MI5)と秘密情報部(MI6)の総力を挙げて事件を捜査し、使用された毒が極めて放射能濃度の高いポロニウム210であることが判明した。

 ポロニウムは原子力施設がないと製造が不可能であることから、英国当局はロシアの国家ぐるみの犯行であると断定し、元KGBでプーチンの右腕ともいわれたアンドレイ・ルゴボイを主犯と見なして、ロシア政府に引き渡しを求めた。しかしロシア政府はこれを拒否している。

あえて毒物を使う
驚愕のメッセージ

 18年3月には、今度は英国ソールズベリーの街中のベンチで、元GRU大佐、セルゲイ・スクリパルとその娘ユリアが意識不明の状態で発見された。同氏はGRU時代にMI6と接点を持ち、ロシアの機密情報を流していた人物である。

2018年、元GRU大佐・セルゲイ・スクリパルとその娘が発見された英ソールズベリーの街中のベンチ。GRU工作員による暗殺未遂事件後、この場所の除染作業が行われた(MATT CARDY/GETTYIMAGES)

 この件でスクリパルは04年にロシア当局に逮捕され、13年の禁錮刑に処されているが、10年には米露間のスパイ交換により、英国政府が身元を引き取ることになった。その後、スクリパルはソールズベリーに居住していたが、ロシアから2人のGRU工作員が訪英し、ロシア製の神経剤、ノビチョクを使用して暗殺を謀ったとされている。ただ幸いなことに2人とも何とか一命を取り留めたようである。

 リトビネンコ、スクリパル事件ともに、ロシア側のプロの工作員たちは「ロシアの情報機関の工作だろう」という状況証拠だけを常に残している。つまりロシアの情報機関はその気になれば交通事故などを装って、完全に他殺の痕跡を消すこともできるが、あえて国家機関でないと使用できないような毒物を使用することによって、他の裏切り者に対する〝警告〟を発しているのである。

 また、ロシアの毒物による工作は日本にとっても対岸の火事ではない。1980年3月、グルジア(現ジョージア)のトビリシを訪問した在ソ連防衛駐在官の平野浤治らはGRUの工作によるものとみられる毒の入ったウォッカを飲まされ、一時的に重篤な状況に陥った。さらに在モスクワ日本大使館の盗聴器捜索に赴いた幹部自衛官2人も、やはり飲み物に毒物を仕込まれている。

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■日常から国家まで 今日はあなたが狙われる
Part1 国民生活から国家までを揺さぶるサイバー空間の闇
山田敏弘(国際ジャーナリスト)
InterviEw1 コロナ感染と相似形 生活インフラを脅かすIoT攻撃
吉岡克成(横浜国立大学大学院環境情報研究院・先端科学高等研究院准教授)
coLumn1 企業を守る手段の一つ リスクに備える「サイバー保険」 編集部
Part2 主戦場となるサイバー空間 〝専守防衛〟では日本を守れない
大澤 淳(中曽根康弘世界平和研究所主任研究員)
Part3 モサド元高官からの警告 「脅威インテリジェンス」を持て
ハイム・トメル(元モサド・インテリジェンス部門トップ)
Part4 狙われる海底ケーブル 中国サイバー部隊はこう攻撃する
山崎文明(情報安全保障研究所首席研究員)
Part5 〝国家〟に狙われる日本企業 経営層の意識変革は待ったなし
川口貴久(東京海上ディーアールビジネスリスク本部主席研究員)
coLumn2 不足するサイバー人材 「総合力」で企業を守れ  編集部
InterviEw2 「公共空間化」するネット空間 国民を守るために必要な機関
中谷 昇(Zホールディングス常務執行役員GCTSO)

   
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Wedge 2021年12月号より
日常から国家まで 今日はあなたが狙われる
日常から国家まで 今日はあなたが狙われる

いまやすべての人間と国家が、サイバー攻撃の対象となっている。国境のないネット空間で、日々ハッカーたちが蠢き、さまざまな手で忍び寄る。その背後には誰がいるのか。彼らの狙いは何か。その影響はどこまで拡がるのか─。われわれが日々使うデバイスから、企業の情報・技術管理、そして国家の安全保障へ。すべてが繋がる便利な時代に、国を揺るがす脅威もまた、すべてに繋がっている。


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