2024年4月27日(土)

田部康喜のTV読本

2013年1月16日

 会津出身の政治家で、外務大臣などを務めた故・伊東正義は、大河ドラマの途中の回で、会津の悲劇の直前に観るのをやめたエピソードがある。

 わたしにもそれがよくわかる。森村誠一の小説の「新撰組」は、伊東と同じように、会津の悲劇の前で読むことを断念したのである。

 八重の物語は、同志社を創設した新島襄の妻としての戊辰戦争後につながる。

 悲劇のシーンで始まる「八重の桜」は南北戦争のシーンとともに、観る者を驚かせたが、それは、希望の物語につながる序章なのであろう。

国家とはなにか

 冒頭の南北戦争のシーン後に、リンカーンが米国をひとつにする演説のシーンがある。「人民の、人民による、人民のための」という言葉である。

 南北戦争とは、日本語の意訳である。英語では、シビル・ウォーつまり、国民国家としてのアメリカが、イギリスからの独立戦争を戦ったあと、産業革命にいち早く転じた北部によって完全に統一されて、国民国家を確固たるものにした戦争であった。

 国民国家は、ナポレオンのフランス革命と、アメリカの独立戦争によって、「発明」されたものである。国旗と国歌に誓って国民になったものが作った国家は、王侯貴族が作った「国」と戦って、強く強大となったのである。

 日本の「国」とは、明治維新を経て、政府によって国民としての教育がなされるまでは、「藩」のことであった。いまでも、「クニ」という響きには、故郷という意味がある。

 八重は、武士となって、藩の砲術指南である父から鉄砲を習おうと、何度も懇願する。父の書庫から本を持ち出しては、半紙に内容を書き取る。

 藩主の前で繰り広げられる、模擬戦の最中に、八重はその戦いを観ようと高い木に登って、男の子たちと競うようにして上へ上へといき、木から落ちかけてはいていた草履を落とす。それが、家老の乗っていた馬を驚かせ、あやうく彼が落馬しかける。

 そのことをとがめる家老に対して、藩主の容保が、正直に申し出た八重と、彼女が競って高みにいたろうとしたことに対して「高く登ろうとしたことも武士の戦と同じであろう」という。

 八重はその言葉をありがたく思い、涙を浮かべる。

 「武士として、殿に尽くしたい」と。


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