古賀さんが現場の皮膚感覚で語る言葉と、統計に表れた数字を合わせてみたとき、それでもあなたは「特例貸付は〝ばらまき〟だ。矛盾ばかりのひどい制度だ」と言えるだろうか。
自嘲を込めて心情を吐露すると、冷静に、第三者の立場から政策の是非を問うことは、実はそれほど難しいことではない。生活保護制度をはじめとした貧困対策の歴史は、暴力団員の不正受給に代表される利用者へのバッシングと、窓口職員の血も涙もない冷たい対応への批判という両極を振り子のごとく行き来してきた。その意味では、今回の特例貸付で起きた問題も、混乱期に生じる当然のことでしかない。歴史は繰り返されるのである。
それでもなお、連載の前半部で露悪的に問題を指摘してみせたのは、今回のコロナ禍が落ち着いた後に、特例貸付が財務省事務次官の矢野康治氏による論文に代表される「ばらまき批判」の槍玉に挙げられる未来が予想できたからである。
特例貸付から学ぶべきこと
コロナ禍は、地域の保健・医療体制の合理化が、いかに私たちの社会を不安定なものにしていたのかを明らかにした。政府は慌てて保健所や公立病院の人員強化を打ち出しているが、専門人材の確保・育成は一朝一夕に進むものではない。そして、貧困対策にもそれは当てはまる。
三芳町社協も、現在の体制になるためには10年以上の年月をかけて、地道に地域の理解を広め、事業を一つ一つ丁寧に立ち上げてきた。町や社協の幹部職員や地元企業の有力者たちは社協の取組を理解し、財政を含めた支援を続けてきた。
コロナ禍が起きる前から備えていたからこそ、危機に際して機敏な対応を取ることができたのである。古賀さんも、「三芳町社協と同じことを、他の市町村の社協に求めるのは酷なこと」と認める。
三芳町社協を、他では真似ができない特異な事例とするのか、あるいは、普遍性のあるモデルとして全国に広げることができるのか。問われているのは、私たちの覚悟である。