一度は〝転換〟が見えたロシア
ロシアでは、「ロシアは単なる国民国家ではなく文明国家であり、ロシア政府にはユーラシア大陸のロシア語話者を保護する義務がある」というレトリックが強まった。ロシアが14年にウクライナ領のクリミア半島を併合したとき、バルト三国では、ロシアがいかにしてバルト三国内に居住する少数派のロシア系住民を侵略に利用するかについて、多様なシナリオが検討された。政治指導者たちは継続的に、ロシアが突き付ける安全保障上の脅威について諸外国の首脳に警告した。
だが西側諸国では、ロシアからの潜在的な脅威に対する感覚は、1991年にソ連が解体するや否や消滅していた。ロシアの指導部が自国を西側と再統合し、西洋国家としてのアイデンティティーを取り戻す構えを見せていた90年代初頭のような時代もあった。ソ連の歴史はロシアにとって間違った方向性だったと確信した指導者たちは、急激な経済・政治改革を重んじ、ロシアの「強さ」を二の次にしたのである。
だがその姿勢は長続きしなかった。
◇◆◇ この続きを読む(有料) ◇◆◇
◇◆◇ 特集の購入はこちら(有料) ◇◆