2024年11月21日(木)

Wedge SPECIAL REPORT

2022年5月30日

マンハッタンのロックフェラーセンターを三菱地所が買収した際には「米国の魂を買った」と言われた (MASAKI NAKAUE/EYEEM/GETTYIMAGES)

 日本企業がバブル経済に踊っていた1989年末ごろ、共同通信のニューヨーク特派員だった私は、「ニューヨーク・タイムズ」の日曜版を見て驚いたことがあった。マンハッタンの中心部にあったロックフェラーセンター、エクソンビルなどニューヨークを象徴するビルが日本企業によって次々に買収され、それらのビルに日の丸を掲げた地図付きの大きな記事が掲載されたのだ。結果的には直後のバブル崩壊で、大半の日本企業は買値より大幅に安い価格で売却処分せざるを得なくなってしまった。

 ただし、バブルに踊った企業ばかりではなかった。今や、日本で唯一の「稼ぎ手」ともいえる自動車メーカーと、それに付随する部品産業だ。日米の貿易摩擦が激化し、米国は日本との貿易赤字を縮小させようと89年から日米構造協議を開始した。最大の赤字要因とされた日本の自動車メーカーは、米国からの批判をかわそうとしてこぞって米国での工場の建設を急いだ。

 私自身、日系自動車メーカーの新工場には全て足を運んだ。日本人の少ない中西部などで、外国人を雇用した経験のない日本のビジネスマンたちが悪戦苦闘している姿を目の当たりにした。このようにして、現地で雇用にも貢献しているとアピールして何とか貿易摩擦の悪化を食い止めた。

 当時のビッグスリーも、変わろうともがいたが、日系企業が台頭し、業界の変革スピードに追い付くことができなかった。それから30年近くがたち、自動車産業は再び大きな変革期に入っている。この変化に対応できるのかどうか、今度は日本の自動車メーカーのほうが試されている。

 そうした中で、ホンダが畑違いの小型ビジネスジェット機に挑戦し、見事に成功している。しかも航空機という最高の精密技術が求められる分野を全て自社で開発。2017年以降は世界の小型ビジネスジェット市場で首位を走っている。米国企業が独占していた航空機の市場で、リスクをとって事業化を決断した当時のホンダの経営陣は創業者の本田宗一郎のDNAであるフロンティア精神を引き継いでいたというべきだろう。

 成功するにしても、失敗するにしても、前提として、まずは「行動すること」が必要になるが、バブル崩壊を経て、多くの日本企業にとって「失敗しないこと」が目的となり、内向き志向になった。今や日本企業の内部留保金額(利益剰余金など)は9年連続過去最高を更新し続けて、20年度末には484兆円もため込んでいる。


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