2024年4月19日(金)

勝負の分かれ目

2022年5月26日

 場内にも流れた優勝インタビューで「やっと終わったなという思いですね」と本音を漏らすと、客席からは万雷の拍手を向けられた。一人横綱としての役割を全うし、重責から解放された安堵感によってにじみ出た言葉だった。

自らの経験から出される大関への言葉

 コンディションは万全ではない。先場所は右かかと、さらに左膝の負傷で途中休場しており、満身創痍。今場所もなかなか本来の相撲が取れず2場所連続で途中休場に追い込まれるのではと危惧されたものの、気力で土俵に立ち続け、次第に体もついてくるようになっていった。休場明けで「いつもより長く感じた」と振り返りながらも「結果がどうであれ、15日間全部取りきるつもりだった」と強い決意で臨んでいたことを明かした。

 苦しみながらも気力、気迫を最後まで貫き通し、15日間戦い抜いた末のV。自らも順風満帆な今場所でなかったからこそ批判の嵐にさいなまれる大関陣の気持ちが手に取るように共有できた。

 優勝セレモニーが終わり、オンライン会見でメディアから今場所での大関陣の不甲斐なさに関して質問されると「そういうことをやっぱり、言われてもね……」と顔をしかめ、次のように続けたという。

 「誰でもそういう時期があると思うし。本当に、良いときも悪いときもあるわけですから」

 コンディションを大きく崩し、大関から序二段まで落ちながら、気力で今の横綱の地位を極めた立場だからこそ口にした重みのある発言だった。

 ちょうど7年前の夏場所で奇しくも今場所と成績も全く同じ12勝3敗で初の幕内最高優勝。初Vの翌名古屋場所で大関昇進を果たした。ところが、14場所にわたって大関で活躍し、横綱候補と言われたものの、両ひざのけがに悩まされ、さらに糖尿病やC型肝炎にもむしばまれた。17年の九州場所で大関から陥落すると、大関経験者としては史上初めてとなる幕下にまで番付を下げ、一時は序二段にまで降格した。

 これまで複数回の手術を行った両ひざの痛みは想像を絶するレベルで、洋式トイレにすら座ることができない時もあったという。師匠の伊勢ケ濱親方(元横綱旭富士)に何度も繰り返すように引退したいと申し出たが、そのたびに突っぱねられた。師匠から必ず幕内に戻れると太鼓判を押され、部屋では番付が下がれば課せられる付け人の責務を免除してもらうなど周囲のバックアップもかなり大きかったと聞く。

 バンテージやサポーターを巻いている両ひざは今も決して万全ではないが、ぶつかり稽古ができなくても地道に四股やゴムチューブを使ったトレーニングなどを繰り返し、人一倍の凄まじい執念を重ねた末に状態を上げていった。「努力の賜物」だけでは評せないほど自らの体にムチを打ち続け、ここまで長きにわたる大相撲史上でも例を見ない歴史的な復活ロードを歩んできた。


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