見事な復活Vだった。大関の東前頭17枚目・照ノ富士が大相撲7月場所千秋楽で2015年夏場所以来、30場所ぶりとなる2度目の優勝を果たした。4人の力士に優勝の可能性があった混戦模様の中、関脇・御嶽海を寄り切りで破り、5年ぶりの悲願達成。両ひざのけがや内臓疾患で序二段落ちまで経験した大関経験者が引退危機を乗り越え、今場所から約2年半ぶりに復帰した幕内で再び久々の賜杯を手にした。
記録ずくめの幕内最高優勝となった。30場所ぶりのブランクVは元関脇・琴錦の持つ43場所に次ぐ史上2位。大関経験者の関脇以下での優勝は、1976年秋場所の魁傑(当時は西前頭4枚目)以来となり昭和以降で換算すると2人目である。
5年前の初Vの翌名古屋場所で大関昇進。14場所にわたって大関で活躍し、横綱候補と言われたものの両ひざのけがに悩まされ、さらに糖尿病やC型肝炎にも体をむしばまれていた。17年の九州場所で大関から陥落すると、大関経験者としては史上初めてとなる幕下にまで番付を下げ、一時は序二段にまで降格した。
これまで複数回の手術を行った両ひざの痛みは想像を絶するレベルで洋式トイレにすら座ることができない時もあったという。師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)に何度も繰り返すように引退したいと申し出たが、そのたびに突っぱねられたそうだ。師匠から必ず幕内に戻れると太鼓判を押され、部屋では番付が下がれば課せられる付け人の責務を免除してもらうなど周囲のバックアップもかなり大きかったと聞く。
大関時代は「角界ナンバー1の酒豪」とまでささやかれた大酒飲みが、決意を新たに完全断酒に踏み切って肉体改造に着手。バンテージやサポーターを巻いている両ひざは今も決して万全ではないが、ぶつかり稽古ができなくても地道に四股やゴムチューブを使ったトレーニングなどを繰り返し、人一倍の凄まじい執念を重ねた末に状態を上げていったことを多くの人から耳にした。「努力の賜物」だけでは評せないほど、今場所の幕尻優勝にはインパクトがあったと思う。陳腐な表現かもしれないが、成せば成るという言葉をあらためて実感させられた。
優勝インタビューでは笑顔は見せず、ただ淡々と「やってきたことをやるだけと思って信じてやりました」と口にした。インタビューアから「初優勝の時と何が違うか」と問われ「イケイケのときに優勝してますから。今は慎重に1つのことに集中してやって来て、それが違うんじゃないですかね」と言葉を選びながら、冷静に応じている姿はとても印象的だった。
5年前の初優勝では同じ優勝インタビュー時に涙が頬を伝い、多くの人たちの感動を誘った。今場所Vのインタビューを受ける照ノ富士の振る舞いを見ながら、あの場面とはまた違った意味でジーンと来たのは筆者だけではあるまい。
初Vを成し遂げた至福の時から同じ力士が大関昇進を果たしながら十両よりも下、関取の呼称を〝はく奪〟される番付にまで陥落するとは誰が想像しただろうか。そして、そこから再び這い上がってVをつかむという流れなんて、おそらく小説やドラマですら成立しにくいスーパーミラクルの展開であろう。
地獄の淵に足を踏み入れかけ、己の力で乗り越えてきた男の精神力は強く、考え方も達観している。だから優勝インタビューでもあれほどに冷静沈着で、かつ堂々としていたのだと考える。本当に素晴らしい。力士としても「鑑」のような存在だと思う。
ちなみに照ノ富士がどん底まで落ちながら這い上がり、今場所で〝史上最大の下克上V〟を成し遂げたことで、公傷制度の復活を望む声も強まっているようだ。かつて相撲界に存在した公傷制度(横綱以外の力士が対象)は本場所の取組で負傷した場合に「全治2カ月以上」の診断書があれば日本相撲協会から認定を得られると言われ、その次の場所で全休しても同じ地位に留まれるという利点があったが、2003年の九州場所で廃止にされている。当時は明らかに仮病と思われるようなケースも目立ち、公傷制度による全休力士の続出によって危機感を募らせた協会側が撤廃に踏み切った。
だが、一方で公傷制度の廃止によってケガの治療とリハビリに集中したくても休めず、特にコロナ禍前までの近年は年6場所と地方巡業のタイトな日程によって忙殺され、負傷箇所を悪化させている力士も絶えない。実際に照ノ富士は強行出場を重ねた結果、コンディションがボロボロになり大関の番付から史上最大の陥落と一時は日常生活にまで悪影響を及ぼし、公傷制度廃止の憂き目にあった〝被害力士〟と言えるだろう。再び陽の当たる世界へ帰ってきた関取が1897日ぶりの賜杯を手にしたことで、ネット上を見ても「照ノ富士のような悲劇を二度と生み出さないためにも、力士への公傷制度をもう一度再考するべきではないのか」との論調は確かに散見される。
しかしながら、これは難しい問題だ。以前も記事で触れたことがあったが、公傷制度を復活させれば、当然ながら悪用される危険性も否定できない。以前のルールであれば、大したケガでもないのに近しい医療機関に過剰な見立ての診断書を作成してもらい、ズル休みするようなことも、やり方によっては抜け道として成立してしまう。よく言われるような「協会管轄の医師が診断すればいい」との意見についても、普段から診療を重ねていることで古傷や持病等についての情報を持ちコンディションを把握している各力士たちの担当医でなければ適切な所見ができず見落とす可能性も場合によっては出てきてしまうだろう。