本書では、個人にも焦点を当てている。
信州の飯田市の豪農の家に生まれた竹村多勢子は、伊那谷で平田国学ネットワークに主体的に参加し上洛、京で尊攘派志士らと活発に交流し「勤王ばあさん」と呼ばれた。
また、土方歳三の義兄だった日野の名主・佐藤彦五郎は、武術修得後に地域指導者となり、幕府公認の農兵銃隊を創設した。
「挙げられた個人は13人。中でも菅野八郎への思い入れが強いようですが、その理由は?」
「百姓身分のまま政治活動を展開し、彼の人生に幕末という時代が色濃く反映されているからです」
八郎は現在の福島県伊達市の生まれ。百姓身分ながら、ペリー来航時に老中・阿部正弘に対して意見書を提出する駕籠訴を断行。尊攘派の義弟絡みで入牢(当時、吉田松陰もいた)し、安政の大獄で八丈島へ流罪となった。
「本人は暴力的な尊王攘夷活動に興味がないんです。しかも故郷の菅野家に対しては終始、村の百姓としての永続・繁栄を願い続けています。つまり、他者との差異化をはかるため、時代パフォーマンスとしての政治活動なんですね」
八郎は赦免されて故郷に戻ってからも、代官批判や官軍批判を繰り広げ、百姓の立場からの政治活動を明治維新まで続けた。
「八郎のような〝したたかな個人〟を在地に輩出したことが、幕末の時代特性だと思います」
幕末を振るがせた民衆、と言えばいかにも先見の明があった人物と思いがちだ。だが、八郎の意見書が荒唐無稽そのものだったように、ほとんどの人は次の時代(近代)を思い描くことなどできなかった。須田さんは、そんな構想を模索できたのは、横井小楠や福沢諭吉など少数の「怪物」のみだったと指摘する。
政治より大地震やコレラの記憶の方が強烈
「一般の人々は、騒然とした社会の空気から〝徳川さまの世が終わるのか?〟とは感じたでしょう。でもそれ以上ではなかった。政治より大地震やコレラの記憶の方が強烈でした」
安政2年(1855)に江戸で大地震が発生、死者約4000人に達した。安政5年(1858)のコレラの死者は、江戸だけでも3~4万人。
「冒頭と最後に、幕末から明治まで生きた落語家・三遊亭円朝の話が出てきますね?」
円朝は『怪談牡丹灯籠』などで有名だが、明治に入って新聞に江戸っ子たちの幕末の経験を連載した。
「その中で、内戦の始まりを天狗党の乱としています。須田さんはそれが江戸っ子共通の記憶だったのでは、と書いていますね?」
元治元年(1864)の天狗党の乱は、水戸藩過激派の蜂起。関東一円に内乱が広がったが、300人以上の処刑者をふくみ、全員が厳重処罰され、尊王攘夷の時代が終了した。
「円朝が対象としたのは江戸(東京)の庶民たちです。円朝も庶民も現在の歴史教科書に沿った幕末史など習っていません。であれば、幕末の暴力の最大の記憶が天狗党の乱だった可能性が高い。その意味で、円朝の時代感覚を今回は参考にさせてもらいました」
歴史の変革期に生きていると、時代の全体像が同時代人にはなかなか見えない。何が見えて何が見えないのか、本書の示唆するところは大きい。
「次の執筆予定はありますか?」
「同様の手法で、明治の民衆を書いてみたいと思っています」