2024年11月21日(木)

山師の手帳~“いちびり”が日本を救う~

2022年7月21日

プーチンを手玉にとるトカエフ大統領

 トカエフ大統領はサンクトペテルブルグ会議で派兵をしないということを満座の席でプーチン大統領に明言した。6月17日のロシア政府主催の国際経済フォーラム会議でのことだ。

 プーチン大統領の横に座っていたトカエフ大統領は「われわれはルガンスクもドネツクも人民共和国として認めない」と言い放った。今日の国際法は、まずは国連憲章である。国連憲章には主権国家の不可侵な領土の一体性と個々の民族の自決権の二面性がある。偽装国家を認めれば地球上はやりたい放題になり混乱するだけである。この発言にプーチンは激怒したことは言うまでもない。「われわれは台湾もコソボも南オセチアもアブハジアも一切の独立は認める立場にはない」とトカエフ大統領は明言したのだ。

 中央アジアという地政学的リスクの中でカザフ大統領にまで上り詰めた天才外交官の面目躍如たる大スピーチである。ウクライナ戦争の先行きに一喜一憂している世界のメディアが右往左往している状況の中で実に切れ味の良い千両役者が出て来たものだと驚きを隠せなかったのである。ロシアのプーチンに一撃を浴びせ、中国の習近平にも台湾有事に対する牽制を忘れない大演説に我を忘れて聞き入ったのである。

6月7日、カザフの首都ヌルスルタンで会談したトカエフ大統領(右)と、中国の王毅外相(Xinhua/AFLO)

 このニュースを聞いてトカエフ大統領に興味を持って調べてみた。

 先ずトカエフの経歴である。大変興味深い事実が浮かび上がってきた。1953年生まれのカシム・ジョマルト・トカエフは17歳でモスクワ国際関係大学に入学。ソ連外務省に入省後シンガポール大使館に勤務。1983年に北京言語大学に留学。1991年には北京のモスクワ大使館に勤務。1994年にはソ連崩壊後のカザフ外相に就任。1999年にはカザフの首相になった。2011年には国連事務次長、上海協力機構の議長経験もある。そして2019年3月ナザルバエフ前大統領の引退と同時にカザフ大統領に就任したピカピカの履歴である。外交のプロ、国際法のプロ、カザフ語、ロシア語、英語、フランス語、中国語にも堪能である。

 さて、トカエフとプーチンは同じ年の生まれだが権力闘争における手法はトカエフ大統領の方が独裁色は感じられないオーソドックスなスタイルに見える。

 例えば、カザフもウクライナ派兵に協力するとなるとカザフに対する経済制裁も実行される。プーチン大統領はカザフも一緒にサンクションになると、ロシアも困るので、カザフに対して厳しい姿勢をとることはできないだろう、という読みがトカエフ大統領にはあったのだろう。

 一方、トカエフ大統領とプーチン大統領が協力してナザルバエフ前大統領を降ろしをしたという情報もあった。もともとトカエフ大統領はあやつり人形のような立場であり、今回プーチン大統領と協力をしてナザルバエフ前大統領の権力を剥奪することも隠れた目的ではあったという見立てだ。

 プーチン大統領はソ連の時代からどうしてもナザルバエフ前大統領には勝てない弱みを持たれていたともされ、これは「渡りに船」だったのかもしれない。

 トカエフ大統領は、元中国大使をしており、中国との人脈も持っている。中国語も流暢にできるということもあって経済面ではカザフは中国との協力関係が強くなっていった。これを背景として、プーチン大統領との交渉に臨んだとすれば、こちらの方が役者は1枚も2枚も上だったのかもしれない。政局が複雑になればなるほど、トカエフ大統領の八方睨みの外交政策が燻銀のように光り出した。ロシアとのバランスをうまく取れる一流の大政治家であると言うべきである。

 1月の内乱のときにはロシアに平和軍を出してもらって、率直に言えばカザフは助かった。集団安全機構が機能している結果であり、プーチン大統領としては、ロシアがいなければ中央アジア諸国は困るだろうというアピールにもなった。

 ところが、2月のウクライナ侵攻は、プーチン大統領の目算が外れて長引く結果となった。そこで、再度、集団安全機構を強化するために中央アジア諸国の求心力を固くしたいという思いが、プーチン大統領には当あった。当然、トカエフ大統領は、そのプーチン大統領の思いを見透かすように、ロシアとは距離をとるという姿勢をとったのだ。

 政治的にはロシア、経済的には中国ということはは変わりはない。したがって、トカエフ大統領としては、今後の展開としても、ウクライナに対するロシアの侵攻を批判しながら、中央アジアにおける安全保障を確保するためにロシアと中国との間でバランスをとるという戦略をとることになるだろう。

 さて3年ぶりに海外出張を断行した背景にはコロナ疲れとウクライナ戦争疲れから脱するという個人的な目的もあった。6月末で20年続けて来た会社経営にも一段落するために完全にフリーになった事情もあった。商社勤めで30年間、経営者としても20年間中央アジアや中国やロシア貿易に染まってきたが、ビジネスに集中するあまりに自分の視点が一面的になっていることが鼻に付き出した。もっと自由な立場で世界(特に中央アジアを)を鳥瞰したいと思ったのである。

 次回の第2弾は政治や外交官や軍事ではなく経済的視点から中央アジアの動向を読み解きたいと思っている。

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