2024年7月16日(火)

近現代史ブックレビュー

2022年8月18日

「生半可なインテリ」が
発した「死の叫声」

 話を別のテロリストに進めよう。安田善次郎暗殺事件(1921年)を起こしたテロリスト朝日平吾は北一輝の『国家改造案原理大綱』に影響を受けた平等主義的ナショナリストであった。そして、朝日とこの事件を初めて本格的に分析したのが本書収録(第一章)の橋川の「昭和超国家主義の諸相」なのである。

 それは行き詰まった「生半可なインテリ」朝日平吾が大富豪・安田善次郎に貧困な労働者向きの宿舎の建設を嘆願した上で刺殺し、自決した事件である。「大久保利通の死、森有礼の死、星亨の死、それぞれの時代色を帯びた死であるが、安田翁(安田善次郎)の死のごとく思想的の深みは無い」「安田翁の死は、明治大正にわたっての深刻な意義ある死である」(読売新聞)。

 警視庁官房主事・正力松太郎は「なあにこんどの事件はたいしたことじゃない。(中略)斬姦状の内容もいたずらに人を怨んだもので思想方面なんかに関係があるものか」と言ったが、(先見の明を見せることのあった)正力にも、この時は事件の新しい意味と困難さが理解できなかったのである。新しい時代相は「個々の不遇な『半インテリ』、もしくは(中略)青年たちの私的な動機にもとづくテロリズムの姿をとって現われつつあった」(橋川)のである。

 字数の関係もあり詳しくは触れないが、原敬を暗殺した中岡艮一もこの朝日の事件に触発されて事件を起こしたのだった。

 事件に至る朝日の軌跡に橋川は注目している。「こうした不幸感の由来は朝日個人の経歴について見ればかなり明確である」「要するに継母故の家庭からの疎外、貧困と気質にもとづく学生生活からの疎外、馬賊隊参加と大陸放浪による日常的感受性の荒廃、その結果としてのあらゆる現実的企画の挫折といった諸要因によって醸成されたものであった」(橋川『昭和維新試論』)。

 朝日をめぐっては「彼の家庭の欠陥が遂に彼をして、人を恨み、世を怨み、自己の周囲のすべてを呪うに至らしめたるに他ならず」と、基本的なことはすでに当時書かれていたことでもあった(『嗚呼朝日平吾』)。

 橋川の注目した朝日の日記には実家に帰った時の体験が次のように著されている。「夕方実家に帰る。(中略)母(継)は例によって極めて愛想なきのみか、とんと寄りつかず。(中略)自宅に帰りし心になれず。母は肴一度供しくれず、朝から晩まで一言も交さず、あたかも針の蓆に座せし気持す。(中略)反抗の気萌せり。みな父母の仕打が原因なり。(中略)店員女中まで我々を軽視す。ああ、帰郷せざりしものを、かくあらんとは知らざりし口惜しさよ」(『嗚呼朝日平吾』)。家庭的不幸がテロルの最大の原因であった。

 朝日の「吾人ハ人間デアルト共ニ真正ノ日本人タルヲ望ム」という文章を、橋川は、大正という時代においては「吾人ハ日本人デアルト共ニ真正ノ人間タルヲ望ム」と読み替えても何ら問題はないはずだとした。そうして、この「死の叫声」が、「人間は人間らしく生きること」(小沼正)とした血盟団員や青年将校運動の草分け西田税らにつながるものであることが明らかにされていく。

 「西田のそうした心情の構造は、たとえば日本アナーキズムの掉尾をかざった和田久太郎、古田大次郎らの手記にも通じるものであり、また、橘孝三郎、倉田百三、鹿子木員信ら、求道者タイプの人々の精神遍歴とも同型の意味を含んでいる。いわば、彼らの追求した自我とは何か、人間、社会、国家、世界とは何かという求道の過程が、そのままに『世界革命』のシンボルに収斂されざるをえない姿を、この(西田の)手記からもまた透視することができるのである」。

現代にも変わらず活きる
橋川の黙示録的予言

 こうして、超国家主義たちの「発想の根底は自我対絶対の一元的基軸の上におかれており、ある意味ではラジカルな個人主義の様相をさえおびている」。これを作り出したものこそ「大正期における自我の問題状況であり」、「下層中産階級のおかれた社会的緊張の状況にほかならなかった」。「日本の超国家主義というのは、そうした自我の意識がその限界を突破しようとしたとき、一般化した傾向にほかならない」という見事な定式化がなされたのであった。

 大正期に現れたテロリストとは、日本の最初の大衆社会化状況の緊張感の中に置かれた「自我」がその限界を突破しようとした時に現れたものであり、彼らはいずれも「不幸感」に満ちたデスペレートな中間的インテリたちであった。

 わかりやすく端的に言い換えれば、この時代状況に翻弄され「苦しい人生行路」をたどった人々がその果てに行き着いた先が「テロリスト」だったのだ。そして、この問題の深刻さを初めて指摘したのが橋川の定式化であり、それが現代も変わらず活きていることを明らかにしたのが今度の事件であった。その意味で、この問題の今後を考えるものは何よりもまず橋川のこの黙示録的予言の書を読むことから始めるしかないであろう。

 そして、こうした困難さを理解しつつ、普通平等選挙制が存在する今日、現代が孕んでいる問題の告発と是正は、言論と選挙をもとにした不断の改革によるしかないことを私たちはどこまでも説得的に説き続けて行かねばならないのである。

 
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