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世界の記述

2022年9月12日

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宮下洋一 (みやした・よういち)

ジャーナリスト

在欧ジャーナリスト。1976年生まれ。スペイン・バルセロナ大学大学院でジャーナリズム修士。『卵子探しています』(小学館)で小学館ノンフィクション大賞優秀賞。『安楽死を遂げるまで』(同)で講談社ノンフィクション賞を受賞。近著に『ルポ・外国人ぎらい』(PHP新書)がある。
 

 17年に日本を旅行したオランダ出身のヘルトさん(53歳)は、「ホテル以外、日本はとにかく安く感じました」と振り返る。オランダでは、過去20年間で、年間平均給与が約2万3000ユーロ(約335万円)上昇している。彼の年収も、約75%増加したという。

 「不動産の高騰もあり、給料が良くなっても、生活水準が向上した感覚はありません。でも、この20年間で、生活が苦しくなった感じもありません。海外旅行をしても、高いと思う国は、スイスやルクセンブルクくらいで、あまり不便はないです」

日本人が持つ「デフレ慣れ」の怖さ

 これらの発言を聞くにつれ、賃金の上昇とともに欧米人の生活が、少なくとも貧しくなっているようには見えない。それぞれの国に貧富の差は存在するが、低所得者層の貧困感覚も、変化の兆しを見せていた。

 バルセロナの市バス運転手を務めるミゲル・マルティネスさん(46歳)は、「経済危機や物価上昇は長らく続きましたが、苦しみながらも生活するための知恵をつけてきました」と話す。「今は、その苦境に慣れ、それよりもマシな生活ができることに満足しています。心理的には安定したのでしょう」と推察した。

 欧米の国々では、日々、物価が上昇し続けてきたことから、国民はその不快さとともに生きる知恵を付けてきた。スペイン経済危機(08〜14年)の頃は、外食を控えたり、アパートで共同生活を送ったり、車や洋服までもシェアする若者たちがいた。不況とインフレの時代を乗り越え、現在は心理的な安定期を迎えているということなのかもしれない。

スペインで決して安くないシャンパンやカクテルを飲んで楽しむ若者たち

 これが欧米人の20年だったとすると、日本人には心理的に苦しい側面がある。安いことを当然と考え、高いモノや飲食に対しては不満を感じてしまう。加えて、日本ほど安くて良質な商品が、世界では少ないというのが悲しい事実でもあるだろう。

 半日歩いてようやく、バルセロナ大聖堂の前で日本人の家族旅行者を見つけた。現在、ロンドンでIT系の駐在員をしている増渕博之さん(50歳)は、次のような考えを述べていた。

 「今は、ロンドンにいるので、こうして家族と旅行ができますが、日本にいたら行きたいと感じないのではないかと思います。日本だと、安くて美味しい昼ご飯がたくさんありますが、ヨーロッパだとサンドイッチと飲み物だけで1200円くらいかかってしまう。安いことに慣れてしまったのでしょうね。日本はこれから大変だと思います」

 彼の発言こそが、欧米人と日本人の経済格差や、物価に対する感覚の差を表していると言える。ヨーロッパでの外食は、年々、高くなる一方で、食べたいものも控えようとする心理が筆者にも、日々、働いている。日本の「安くて美味しい」食べ物と比較することを覚えてしまったからからでもあるが、それよりも、「デフレ慣れ」の恐ろしさを実感している。

 日本人にとって、安いと思っていた諸外国は、いまや過去の記憶でしかない。今後、海外旅行は、富裕層の特権になってしまうのか。何よりも、欧米社会では、「勤勉で真面目」と称されてきた日本人だったが、今では、その言葉が皮肉にもなりつつある。

 世界中のエコノミストや、日本人が期待してきたアベノミクスとは、一体何だったのか。多くの国々が粛々と経済力を蓄えていく中で、日本人は頑張りながら貧しくなってしまった。このガラパゴス化が、知らずと日本人を苦しめてきた。

 筆者の目に明らかなのは、日本人はどの国民よりも仕事が好きで、精密度が高く、質の高いサービスやモノを作り出している。その日本人が理論上、経済的に苦しむことがあってはならないはずだ。日本政府は、国民がまた悠々と日常生活や海外旅行を楽しめるよう、一刻も早く経済の大規模なシステム改革を進めるべきである。

  
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