17年に日本を旅行したオランダ出身のヘルトさん(53歳)は、「ホテル以外、日本はとにかく安く感じました」と振り返る。オランダでは、過去20年間で、年間平均給与が約2万3000ユーロ(約335万円)上昇している。彼の年収も、約75%増加したという。
「不動産の高騰もあり、給料が良くなっても、生活水準が向上した感覚はありません。でも、この20年間で、生活が苦しくなった感じもありません。海外旅行をしても、高いと思う国は、スイスやルクセンブルクくらいで、あまり不便はないです」
日本人が持つ「デフレ慣れ」の怖さ
これらの発言を聞くにつれ、賃金の上昇とともに欧米人の生活が、少なくとも貧しくなっているようには見えない。それぞれの国に貧富の差は存在するが、低所得者層の貧困感覚も、変化の兆しを見せていた。
バルセロナの市バス運転手を務めるミゲル・マルティネスさん(46歳)は、「経済危機や物価上昇は長らく続きましたが、苦しみながらも生活するための知恵をつけてきました」と話す。「今は、その苦境に慣れ、それよりもマシな生活ができることに満足しています。心理的には安定したのでしょう」と推察した。
欧米の国々では、日々、物価が上昇し続けてきたことから、国民はその不快さとともに生きる知恵を付けてきた。スペイン経済危機(08〜14年)の頃は、外食を控えたり、アパートで共同生活を送ったり、車や洋服までもシェアする若者たちがいた。不況とインフレの時代を乗り越え、現在は心理的な安定期を迎えているということなのかもしれない。
これが欧米人の20年だったとすると、日本人には心理的に苦しい側面がある。安いことを当然と考え、高いモノや飲食に対しては不満を感じてしまう。加えて、日本ほど安くて良質な商品が、世界では少ないというのが悲しい事実でもあるだろう。
半日歩いてようやく、バルセロナ大聖堂の前で日本人の家族旅行者を見つけた。現在、ロンドンでIT系の駐在員をしている増渕博之さん(50歳)は、次のような考えを述べていた。
「今は、ロンドンにいるので、こうして家族と旅行ができますが、日本にいたら行きたいと感じないのではないかと思います。日本だと、安くて美味しい昼ご飯がたくさんありますが、ヨーロッパだとサンドイッチと飲み物だけで1200円くらいかかってしまう。安いことに慣れてしまったのでしょうね。日本はこれから大変だと思います」
彼の発言こそが、欧米人と日本人の経済格差や、物価に対する感覚の差を表していると言える。ヨーロッパでの外食は、年々、高くなる一方で、食べたいものも控えようとする心理が筆者にも、日々、働いている。日本の「安くて美味しい」食べ物と比較することを覚えてしまったからからでもあるが、それよりも、「デフレ慣れ」の恐ろしさを実感している。
日本人にとって、安いと思っていた諸外国は、いまや過去の記憶でしかない。今後、海外旅行は、富裕層の特権になってしまうのか。何よりも、欧米社会では、「勤勉で真面目」と称されてきた日本人だったが、今では、その言葉が皮肉にもなりつつある。
世界中のエコノミストや、日本人が期待してきたアベノミクスとは、一体何だったのか。多くの国々が粛々と経済力を蓄えていく中で、日本人は頑張りながら貧しくなってしまった。このガラパゴス化が、知らずと日本人を苦しめてきた。
筆者の目に明らかなのは、日本人はどの国民よりも仕事が好きで、精密度が高く、質の高いサービスやモノを作り出している。その日本人が理論上、経済的に苦しむことがあってはならないはずだ。日本政府は、国民がまた悠々と日常生活や海外旅行を楽しめるよう、一刻も早く経済の大規模なシステム改革を進めるべきである。