2023年2月7日(火)

新しい原点回帰

2022年10月15日

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磯山友幸 (いそやま・ともゆき)

ジャーナリスト

千葉商科大学教授(4月から)。1987年日本経済新聞社に入社。フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長などを務め、11年に独立。著書に『2022年、働き方はこうなる』(PHPビジネス新書)など。

 ところが、横浜駅は駅弁を売るには不向きな位置にあった。上り列車は終着の東京駅に近く、横浜で弁当を買う客は少ない。逆に下りの客は、出発地の東京駅で駅弁を買い込んできてしまう。何か「横浜ならでは」のものを作って売ろうと考えた、という。

楽しみ方へのこだわりで
生まれた横浜の新名物

 南京街(現在の横浜中華街)で突き出しとして出されていたシューマイに目を付けた。だが、列車内で食べる頃には冷めてしまう。「冷めてもおいしい」にこだわった結果、豚肉と干帆立貝柱を使うことに行き着いた。さらに揺れる電車内でも食べやすい、小ぶりのひと口サイズにした。崎陽軒のシウマイはそもそも「楽しみ方」にこだわった結果生まれた商品だったのだ。

 崎陽軒のシウマイが一躍有名になったのは、横浜駅に「シウマイ娘」が登場した1950年(昭和25年)から。駅弁と言えば、弁当を入れた岡持を首から下げ、野太い声で「ベントー」と言いながらホーム上を売り歩く男の力仕事というのが相場だった。それを赤い服を着てたすきをかけ、手籠にシウマイを入れ「シウマイはいかがですか」と車窓から声をかける「シウマイ娘」に代えたのだ。旅情を誘う横浜ならではの一風景として話題になり、横浜駅の停車中にシウマイを買うのが旅行者の楽しみになった。

昭和25年から登場した「シウマイ娘」(崎陽軒提供)

 そんな「シウマイ娘」を一躍有名にしたのが、52年に毎日新聞に連載された獅子文六の小説『やっさもっさ』に、「シウマイ娘」が登場したこと。翌年には映画化もされ、シウマイ娘に桂木洋子、相手役に佐田啓二という当時の売れっ子が扮したことで、全国に知れ渡った。54年には、今や横浜界隈で最も売れるお弁当になった「シウマイ弁当」が誕生した。

 翌年には、シウマイの箱に入れる磁器製のしょう油入れ「ひょうちゃん」が誕生。新たな「楽しみ」を加えた。漫画家の横山隆一氏が描いた「ひょうちゃん」は48種類。今もそれを作り続けている。記念のタイミングなどに特製の「レアものひょうちゃん」を出すこともあり、熱心なコレクターもいる。

 「楽しみ方」への工夫は、崎陽軒の伝統でもある。今や当たり前になった駅弁に「お手拭き」を付けたのも崎陽軒が最初。列車内で食べるのではなく、お土産に持っていきたいという要望に応えて「真空パック」のシウマイを67年に出したが、この言葉を発案したのも崎陽軒だった。

 だが、その後、列車の旅は大きく姿を変えていく。停車時間は短くなり、窓も開かなくなって、ホームでの駅弁売りは姿を消していく。駅の構内や駅直結のショッピングセンターに売店を出すケースが増えたが、これを通勤客などが買っていくケースが多くなった。旅のお供ではなく、夕食や晩酌の肴へと「楽しみ方」が変わっていったのだ。これに伴って、昔ながらのシウマイだけでなく、特製シウマイ、えびシウマイ、かにシウマイとラインナップを広げていった。現在、箱詰めされたり、弁当に入れられたりして売られるシウマイは、1日約80万個製造されるまでになった。


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