「実は、日本のガラス食器の歴史は短く、残念ながら、食器の主役にはなれないのです」
そう語るのは1899年(明治32年)創業のガラス食器の老舗、廣田硝子の4代目の社長である廣田達朗さん。「日本では、陶器や漆器が盛んに作られ、全国に産地も多い。そんな中で、ガラス食器は洋食と共に舶来品として入ってきて、まだまだその印象が強い。国内でのガラス製造は江戸後期にまでさかのぼりますが、残念ながら日本にガラス食器の一大産地というのも育ちませんでした」という。
西洋ではガラス器は紀元前から使われ、奈良・東大寺の正倉院の御物にも受け継がれている。だが、それはあくまで貴重な「舶来品」であり、日本の人々の生活に溶け込んだわけではなかった。日本人の生活にガラスが本格的に入ってきたのは明治期の石油ランプがきっかけ。明かりの主役がランプになると、ガラス製のホヤ(火屋)が必需品になった。それをきっかけにガラス製造が国内に広がる。
「廣田硝子の初代もホヤ製造からスタートしていますが、ランプの時代は長くは続かず、ランプから電灯に代わると、ガラス食器の製造に切り替えたようです」と廣田さん。明治後期から大正にかけて、西洋文化が一気に広がり、ワインやビールが日本の食卓にも上るようになった。それでようやくガラス食器が生活に入り込んだ。
強いて言えば、日本のガラス製造のメッカは東京だった。明治政府が官営のガラス工場を品川に建て、ガラス製造を奨励したことで、東京の下町には小規模なガラス工場がたくさんできた。今もJR錦糸町駅にほど近い場所に本社を構える廣田硝子もその一つだったのである。