〝転生〟の意味するところは何か?
「ところで、本書のタイトル〝転生〟ですが、これは溥儀と溥傑の双方に当てはまりますね?」
溥儀は清国最後の皇帝、満州国初代皇帝、そして戦後の北京市民と、3つの人生を生きた。それぞれの国の皇帝の弟から一般市民となった溥傑も、同様である。
「私はふたりの全生涯を書こうと思いました。従来の著作は初代皇帝時代の兄弟か、せいぜいその前後。しかし、人間は変わります。特に溥儀や溥傑のように、その都度激変する状況を生き抜くと、一時的な行動・思想では歴史的意味を掴み取れません。生まれてから死ぬまでを追うしかない。そして追ってみると、彼らの場合は〝転生〟、すなわち生まれ変わりと呼ぶしか表現方法がなかったのです」
牧さんは、兄弟の「転生」は死後も続いたという。
文化大革命さなかの1967年に61歳で病死した溥儀は、最初は共同墓地に納骨された。だが、その後遺骨は革命公墓に移され、最終的に河北省の清室西陵隣へと埋葬された。
浩は1987年(73歳)、溥傑は1993年(86歳)に死亡。夫婦の遺骨の半分は、天城山心中で亡くなった長女彗生のそれと一緒に北京市郊外上空に散骨され、3人の骨の残り半分は、下関・中山神社の愛新覚羅社に祀られた。すなわち、「神」となったのだ。