満州国の歴史的存在意義
「最後に、満州国の歴史的存在意義について伺いたいと思います。現在の中国は、日本軍が武力による威嚇で作った傀儡国家ということで、‶偽満州国〟と呼んでいます。つまり、一つの国ではなかったということですが?」
「それはおかしい。その時代の歴史状況によって、傀儡であろうと短期間であろうと、国家は国家、一つの国です」
牧さんは、自分が新聞社特派員として滞在した南ベトナムの例を挙げた。ベトナム共和国は1955年から75年までわずか20年しか存在せず、アメリカの庇護の下にあったが、ベトナム史に残る歴然たる国家だった。
似たような国家の例は、ヨーロッパやアフリカなどにも幾つとなくあった。
「しかも満州建国の際、当時満州を実質支配していた地元の軍閥4巨頭は建国に賛同し、それぞれ新政府の重要ポストに就きました。関東軍の斡旋ですが、武力による脅しではなかった」
牧さんはさらに、中国が「偽満州国」と呼ぶのは独立国だと自分たちにとって都合が悪いから、と見る。
満州は万里長城の外側、本来の漢民族にとっては化外の地だ。そこに満州を父祖の地とする溥儀が満州国を作った。その満州国を中国共産党は抗日救国統一戦線を奉じて攻撃対象とし、結局は支配下に置いた。
「中国はかつて、『日中戦争は1937年の盧溝橋事件からの8年間』と言っていましたが、それだと中国が満州国を侵略したことになります。それはまずい。そこで満州建国前の31年の満州事変から日本軍の侵略が始まったとした。日中戦争15年論ですね」
満州国の問題は驚くほど奥が深い。視点を変えるごとに、今日まで続く課題が次々と浮かび上がる。
今回の牧さんの、490ページを越す労作は、そのことを改めて教えてくれる。