A少年の担任T法務教官に会う。
「子どもたちは4人部屋で多い時は5人で共同生活になったりもします。基本的には畳の部屋です。布団を敷いたらぎゅうぎゅうですよ。寝相が悪くて体が当たっちゃうなんてことは当たり前。それでも就寝中は私語は禁止です。多少は話しているんでしょうけど、寝ている時間でも職員が巡回していますからね。各部屋は、部屋割の段階で上級生と下級生を配置して、改善が進んでいる子とそうでもない子をいっしょにします。先輩の姿を見て育つ。それでなんとなく自治が保たれるようになっています」
少年院を出た後の健全な生活の維持と、促進の観点から、私的でプライベートな内容は固く禁じられている。これに違反すれば規律違反として厳しい措置がとられる。
こうした規律違反を抑制するため、入ってから1カ月半程度は上級生が指導係として、付きっ切りで集団生活に必要なルールや言葉づかい、態度などを指導する体制をとっている。
「これは上級生が悪の親玉にならないためでもあるんです。少年院に入って来る子は誰もが認められたいって思っています。我々が認めているか、認めていないかが関心事ですから、認められようと努力します。自分もここを出るときは、上級生のようになっていなければならないという思いから上級生の行動を学ぶんです」
この上級生が良いお手本になれば双方にメリットが生まれ、水府学院全体の秩序にも繋がっていくという仕組みだ。
両親の離婚、不登校、解体の仕事…
A少年の背景
小さいころから両親のケンカを見て育った。その後、両親は離婚。兄弟3人は父親に引き取られたが、両親の離婚以来さびしい思いをし続けた。
小学生の頃は野球が大好きな少年だった。しかし「結果が全て」と考えていた(もしくは教えられた)A少年は、活躍している周りの人間と自分を比べ、「結果が出せない俺に価値はない」「必要ない人間なんだ」と思い込んだ。
また、同時に学業の方も遅れがちになり中学1年で「ただ座っているだけ」の状態となり、中学2年で「行く意味がない」と一時不登校になった。再び登校し始めたところ「もう学校へは来ないでくれ」と担任教師に突き放され完全な不登校となる。この時、遊んでいるだけじゃ親に迷惑を掛けるからと母親の紹介で解体屋に働きに行くことになった。
ここで本稿冒頭に記した解体屋の作業員として、福島県相馬市の被災地に入った。ここで家族を探し歩く人や、過酷な環境の中でも活動する自衛隊を見た。