少年院に入ってから仮退院まで、進級段階に合わせて、それぞれの目標を小さなステップに分け、一つひとつを丹念にクリアさせながら社会に適応させていく。
ただ、どんな少年も一直線にゴールに向かうことはない。複数の教官が連携し、様々な形でアプローチを繰り返しながら、少年の気づきを促していく。そこにはとても聞き出すことのできないような、人間的な葛藤があることは想像に難くない。
誤解のないように書いておきたい。
今回の取材は、管理はされていても、監視された中で行われたわけではない。少年が過度に緊張しないよう一番身近な教官に同席を願って、極力雰囲気を和らげようと当直室の畳の上に胡坐をかいて行われた。
子どもが生まれてからの変化
当直室に入ってくるなり、A少年は「こんにちは!お久しぶりです」という張りのある声で挨拶をくれた。ラグビー講座や視覚障害者柔道選手の初瀬勇輔さんの講話で会っていたからだ。
目をキラキラと輝かせた、運動部の高校1~2年生というのが見た目の正直な印象である。
厳たる生活の中で会話に飢えていたのか、次々に言葉が飛び出した。
「鑑別所ではずっと一人でした。ここに来て集団生活をするんですが、勝手に話をしたらいけないんですよ。好きにしゃべれないなんて、自分の権利を奪われたような気がして入ったばかりの頃は受け入れることができませんでした」
意見交換の場でも、当初は自分の考えを一方的に伝えるだけで、周囲との適切なコミュニケーションが取れなかった。A少年自身にここで変わりたいなんていう思いはなく、ただ「出たい」「帰りたい」という反発心にも似た気持ちだけだった。
しかし、水府学院に来て2カ月後、婚約者に子供が生まれ、頑なな心に変化が訪れた。
「変わりたいと思ったきっかけは、子どもが生まれるのに立ち会えなかったからです。不安だった。大きなお腹も見てやれなかった。命がけで生んで、それなのに平然と赤ん坊を抱いて面会に来た。一番大切な時期に自分は何もできなかった。だから一日でも早く帰れるような生活を送ろうと思った。それがキッカケです」