若者たちよ、
サッカー界だけに閉じこもるな
今後は中学生や高校生など、より早期からのアプローチも必要だ。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)で経営諮問委員長も務めた早稲田大学スポーツ科学学術院の武藤泰明教授は「日本は今後、本格的な人手不足の時代を迎え、一人でも多くの労働力の確保が重要になる。プロを目指すことも重要だが、同時に、社会で活躍できる人材育成にも目を向ける必要がある」と話す。
武藤教授は続ける。「日本の育成組織はプロ選手を育てることに主眼が置かれ、指導の中心は技能面だ。だから当然、競技の結果を重視する傾向が強い。以前、サッカー協会がフランスのジュニア代表チームを招待した際、日本側がやる気満々で試合中心の滞在スケジュールを組むと、フランスの指導者から『お茶や生け花を体験させたい』との要望があり、あっけにとられていたことがあった」という。彼らにとっては貴重な「国際交流」として位置付けられた遠征だったのである。
日本各地では少しずつだが〝サッカーエリート〟の養成にとどまらない育成が始まっている。
ヴァンフォーレ甲府のアカデミー(若手選手の育成を目的にクラブが設けた組織)では、19年に「インパクトプログラム」と題した取り組みを開始した。社会に変化をもたらせる人材育成が狙いで、インパクトを与える対象を「①自分と相手」「②クラブ」「③社会」と徐々に広げていく構想だ。
スポーツを通じて新たな社会発展モデルを形にすることを目的とした非営利団体「グリーンスポーツアライアンス(東京都港区)」とクラブが組み、プログラム内容をプロデュースしている。
1年目は、「まずは知ること」を目的に、小学4年生を対象に実施。国際連合が推奨する絵本を読んだり持続可能な開発目標(SDGs)をテーマにしたワークショップをしたりと、親子参加型にして「楽しむ」ことに重きを置いた。2年目以降は、文系・理系を選択する前の段階で視野を広げてほしい、との思いで中学2年生を対象に、大学教授などさまざまな分野の専門家から講義を受け、質疑応答などを通して学びを深めている。
今後はパートナー企業と連携し、事業内容を学んだうえで「実践」に結び付ける。例えば、地雷除去機の開発で有名な建機アタッチメントメーカーの日建(山梨県・南アルプス市)とは、「アイデアと技術で平和空間を創る」との理念を共有する。8月にオープンした多目的スポーツ施設「いこいの杜」で実機を使用した平和教育やサッカーを通じた国際交流の実現を目指す。
グリーンスポーツアライアンスの代表理事兼ヴァンフォーレ甲府SDGs推進マネージャー澤田陽樹氏は「まだまだ試行錯誤の段階だが、いずれは小学生・中学生・高校生と成長の過程に合わせたプログラムをつくり、最低でも1度はサッカー以外のことに視野を広げる機会を設けたい」と話す。
明るい兆しもある。「子どもたちの積極性が少しずつ出てきた。また、新たな発見は、子どもたちと接点を持ちたい、地元の歴史を教えたい、と思っている地域の方が大勢いたこと。自分が関わった子がサッカー選手として活躍したり、就職で山梨の企業に戻ってきたりすることが楽しみだという声もある。そのきっかけになるようなプログラムを目指したい。急がば回れで、長期目線で地元に還元したい。」(澤田氏)。
同クラブの佐久間悟社長は「サッカー界に長く身を置くと、そこでの常識が社会の常識だという錯覚に陥ってしまう人が多い。そうではなく、社会全体の中で、サッカー界はあくまで『点』にすぎないという意識が重要。こうした〝日本版・社会体育〟を通じて甲府から一人でも多く社会で活躍する人材を育てたい」と意図を説明する。
クラブが地元に根差している利点を生かした取り組みを進めるのが鹿島アントラーズだ。コロナ禍の21年から開始した「キャリアデザイン教室」では、選手ではなく、同クラブの筆頭株主でもあるメルカリの会長兼鹿島アントラーズ・エフ・シー代表取締役社長の小泉文明氏が地元の中学生に向けて講義を行う。
卒業後の進路など、誰もが漠然と将来を考え始める時期に「キャリア」に焦点を当てて話をすることで、サッカーに興味がない学生でも当事者意識が芽生えやすくなる。内容は「中学生の時にどのようなことを考え、どう過ごしていたか」「振り返って『中学時代』の経験が糧になっていると思うこと」など、具体的な話を中心に展開され、生徒自身の「今」と重ねて考えやすくしているという。
地域連携グループ行政連携チーム寺嶋博信氏は「鹿嶋市の教育委員会と話し合う中で、多様な経験を持つ経営者から生徒が直接話を聞くことは、自身のキャリアを考える意味でもいい効果が期待できると考えた」と経緯を話す。
2年間で600人以上の中学生が講義を受けており、参加した中学校の教員からも「日常的に接する親や教員ではない別の大人からのアドバイスだからこそ、生徒たちも真剣に耳を傾けている側面があると思う」と好感の声が挙がる。
寺嶋氏は「サッカー以外の場所でクラブの価値や存在感を発揮してこそ、魅力的なまちづくりに貢献できると思う。優秀な人材の確保が難しくなる中で、こうした取り組みが少しでも地元への愛を育む機会になればいい」と語る。