2024年4月27日(土)

INTELLIGENCE MIND

2022年12月28日

総合力で勝ち取った強大な国からの独立

 ジョン・ジェイはワシントン政権で、最高裁判所長官やニューヨーク州知事を務めた政治家だが、同時に、国内の防諜にも貢献した。初期のキャリアは、同州議会のメンバーとして、英国勢力の浸透を阻止することだった。彼は「英国の陰謀対処のための委員会」の長となり、10人前後の捜査官を率いて英国のスパイや秘密工作活動を摘発していた。

 当時、英国植民地政府は、米国の独立派リーダーの排除を計画しており、ワシントンのボディーガードも買収されて彼の命を狙うようになっていたが、ジェイの組織はこれを未然に防ぐことに成功した。そこで頭角を現したのが、イーノック・クロスビーだった。クロスビーは「ジョン・スミス」という、英語圏ではよくある名前で英軍の下部組織に加わり、英軍の作戦計画について貴重な情報を多くもたらした。

 ジェイは合衆国憲法の基となった「フェデラリスト・ペーパーズ」起案者の一人であり、その中には、彼の信念が記されている。「交渉の過程では、完全な秘密保持と迅速な処理が要請されることがしばしばある。情報を握っている者がそれを露見させる心配がなければ、もっとも有益な情報を入手し得るだろう」。

 ベンジャミン・フランクリンは科学者として著名で、政治家も務めた多才な人物である。フランスを米国の同盟国とすることに尽力し、インテリジェンス分野では主にプロパガンダや秘密工作を担当した。彼は米国の特使として、1776年12月にパリを訪問しているが、その際、反英プロパガンダを自らの手で作り、欧州各国の大使や軍人に広める工作を行っている。

 彼の偽情報でよく知られるものの一つに、英国が戦場で負傷したドイツ兵にきちんとした報酬を払わず、見殺しにして死亡金だけを払っている、というものがあった。当時、ドイツ語圏のいくつかの領邦国は米国に兵士を派遣し、英軍とともに米軍と戦っていたのである。この偽情報は米国に派遣されたドイツ兵にも広まり、多くの逃亡者を出した。対して駐仏英国大使も米国に関する偽情報を流布していたが、フランクリンの方がはるかに上手だった。

 さらに彼はボストンの新聞に、カナダの英国人総督がインド兵に対して米国兵士の頭皮を収集することを依頼した、というでっち上げの記事を掲載し、英国本国で問題視されるようになる。

 またパリにおいて、フランクリンはエドワード・バンクロフトという、ロンドン在住の米国人をスパイとして雇い、彼から英仏に関する多くの情報を入手していたが、バンクロフトは英国の情報機関にも通じていた二重スパイでフランクリン側の情報も英国に漏洩していた。ただしフランクリンはバンクロフトへの警戒も怠らず、英国に接触していたことに気づいていたようである。

 独立戦争時における米国建国の父たちのインテリジェンス活動は、それぞれが独自の判断で始めたものである。彼らは、強大な英国を打ち倒すためには、軍事力だけではなく、外交やインテリジェンスなどを駆使しなければならないことをよく理解していたのである。

   
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