中・別のヨットでエオラスを見送りに行く「海宴隊」のメンバーたち(以上2点、6月8日)
下・出発直前に損傷の修復のために新たにつけられた金物を把握するヒロさん(6月16日)
エオラスが、大阪・北港を出発したのは6月8日のこと。小名浜までテストセーリングを行ったが、台風3号に追いかけられて、大波を受け続けた。太平洋横断で最も苦労するのが日本近海といわれているが、今回のセーリングはベテランセーラーでも手に余るくらいの天候だったようだ。おかげで、完璧に整備されているはずのエオラスにダメージが発生した。
船の舳先に突き出ている大きな棒、バウスプリットが錨のあおりを食らって損傷したり、その根元から少量の漏水が発見されたりしたのだ。比企さんらは急遽さまざまな協力を仰ぎながら出発前日まで整備を続け、エオラスを完全に修復した。ただし、この整備は完璧主義的なもので、航海に重大な影響を与えることはない損傷や漏水だった(ネット上ではこの損傷が後の事故につながったという解説も見られるがこれは間違っている)。
辛坊さんは出発式でこう語った。
「気づかなかったところの整備もできて、海が荒れたのは本当に幸運だったと思う。人生って面白い。好天じゃなくて荒天に恵まれたんです。
比企さんに会ったのがちょうど1年前の6月19日。それから1年後に本当に出港式を迎えるとは……(笑)。『いつかは太平洋横断』というのが、本当にできるかどうかは別にして、ヨットマンなら誰しも抱く夢です。夢に便乗させてくれたヒロさんに感謝です。
実はこの話を聞いてすぐ、行くことを決心したんですが、どうやったら本当に実現できるかが問題だった。それから延べ何百人にも上るボランティアの方々の協力、整備があって、この日を迎えることができました。これだけよく整備されたエオラスが、僕たちを運んでくれるでしょう。最悪のときは、ハッチを閉めて、じっと船室で寝ていれば、どこかに着くでしょう」
――しかし、その「最悪」を超える事態が発生した。
衝突
辛坊さんがプロジェクト事務局に「右舷から浸水あり」と第一報の電話を入れたのは出発6日目の21日、午前7時35分のことだ。ヨットの所在地は宮城・金華山の東南東沖約1200キロの太平洋上で、水深数千メートルはあろうかというエリアである。
一般に、船舶やヨットの航海でもっとも危険なのは陸から近い沿岸部である。海底障害物にぶつかれば座礁するし、航行している船舶が多いため船舶同士の衝突も発生しやすい。海上保安庁の海上保安統計年報によれば、救助を必要とした海難事故は2004隻(2011年度)発生しているのだが、うち港内の事故は889隻、岸から3海里(約6キロ、1海里=1.852キロ)未満が818隻と大半を占めている。500海里(約930キロ)以上は7隻に過ぎない。
水深が深いエリアでは、海底障害物に衝突することはほぼあり得ない。ヨット上からのワッチ(見張り)対象は本船(大型の船)が中心となる。
いったいなぜ浸水が発生したのか。救出後の記者会見で、浸水発生時の状況について2人は次のように説明した。