秘密警察組織から公安・防諜組織へ
一方、シュティーバーはビスマルクに実力を高く評価され、プロイセン秘密警察の長となる。彼の組織は、公安・防諜活動に加え、要人警護や郵便・電信の検閲、プロパガンダ活動や軍事情報活動にまで及んだ。
シュティーバーは68年頃にフランスとの対決を予感すると、ギリシャの商人を装って、自ら部下とともにフランス国内での情報収集活動を行い、さらにフランス人売春婦や農民を雇って、フランス国内に3万人以上の情報網を築き上げた。普仏戦争が始まるまでには、フランス軍の兵力や編成、補給能力、作戦計画までもが全て彼の下に届けられるようになっていたという。
70年7月に普仏戦争が勃発すると、プロイセン軍はフランス軍を圧倒した。こうしてシュティーバーの名前は欧州中に轟くことになり、ビスマルクは彼を「探偵の王」と呼ぶようになった。
82年の他界後も、その死が本当かどうかを確かめに来る関係者が後を絶たなかったという。
一方、英国のスコットランド・ヤードも、87年には国内の過激なアイルランド独立運動を監視するため、部内にスペシャル・ブランチを設置し、防諜や監視業務を洗練させていった。この組織は20世紀に入ると、英国保安部(MI5)として活動するようになる。