2024年4月15日(月)

日本人なら知っておきたい近現代史の焦点

2023年3月14日

 関東軍参謀の独断は軍中央の多くの将校を驚かせたが、永田ら中央の同志は起こしてしまった以上は軍事行動をなんとしても成功に導くために猛烈に活動する。陸相や参謀総長は困惑し不拡大を模索するが、一般論としてではあれ武力行使に「コンセンサス」を与えてしまっていた以上、その統制力は大きく減じられた。政軍協調路線の挫折以降、軍上層部の権威が失墜していたことも大きく影響した(連載第4回参照)。

 内閣(若槻礼次郎・民政党内閣)の立場も複雑であった。内閣による軍部統制が失敗した原因として「統帥権独立」(連載第2回『悪名高き「統帥権独立」とは何だったのか 対立深まる軍と政党』参照)の問題が指摘されることは多い。統帥権独立が戦前の政軍関係にとって宿痾であったことは確かである。しかしそれが内閣による統制失敗の絶対的な原因であったかというと疑問も多い。

 たとえば満州事変が単なる局地的事件に収まらず、大規模武力紛争に発展した契機として、関東軍の援助要請を受けた朝鮮軍(朝鮮駐屯の日本陸軍部隊)の満州への独断越境事件が挙げられる。若槻内閣は朝鮮軍の越境を事後承認し、増援部隊を得た関東軍は戦線の拡大が可能となった。

 制度上の観点からすれば、内閣は統帥権の有無にかかわらず独断越境を契機として軍事行動拡大を抑制できたはずである。なぜなら軍隊の海外出兵(朝鮮は国内であり満州は国外)には内閣の了承と天皇の大命、そして予算措置が不可欠である。もし政府が独断越境を問題視し、予算措置を拒否すれば政治的大問題に発展する。必然的に朝鮮軍の行動は大権干犯としてクローズアップされることになる。そうなれば関東軍も朝鮮軍も動きを封じられただろう。

 しかしこれは現実問題として不可能であったろう。まず事態が重大すぎた。勅命を得ずに軍隊を動かしたとなれば最高刑は死刑の重大犯罪である。朝鮮軍司令官の林銑十郎は腹を切るかもしれない。陸相・参謀総長も職を辞すだろう。

 現代人は神の目線から歴史を見る。その後の歴史的経緯を全て知っている立場からすれば、どんな政治的衝撃があろうとも承認すべきではなかったという結論になるだろう。しかしその判断を若槻内閣に求めるのは酷だろう。決断を必要とする問題ほど決断が難しくなるのは人間の性である。

 戦場と国内の時間感覚と情報量の乖離も大きな原因であった。戦場は刻一刻と状況が変化し、目前の状況に直ちに対応しなければならない。それができなければ部隊は全滅しかねない。他方、国内の意思決定には時間が必要であり、有する情報量にも限界がある。必然的に国内の決定は戦場の現実から乖離することになる。

 こうした時間感覚と情報量の乖離を自覚すればするほど、内閣も軍中央も関東軍の行動を抑制し難くなる。逆に関東軍はそのギャップを利用して既成事実を積み上げ、事後承認を迫ることができた。

吹き飛んだ大正デモクラシーの平和主義

 世論も関東軍の行動を後押しした。平和主義やアンチ・ミリタリズムの風潮は霧散しナショナリズムが高揚した。戦況を伝える新聞は飛ぶように売れた。爆発した強硬世論は、国民の平和主義の底の浅さを表しているといえよう。また一般論としての平和主義と実際の政治行動は、別個の行動原理によって動いているのだともいえよう。いずれにせよ、野党・政友会はこうした世論変化を背景に若槻内閣を攻撃し、内閣は不拡大方針を貫くのが困難になっていくのである。


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