Wedge REPORT

2013年7月23日

»著者プロフィール
著者
閉じる

島澤 諭 (しまさわ・まなぶ)

中部圏社会経済研究所研究部長

富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。2015年4月から現職。

「儀式」としての選挙

 ところで、日本は選挙を通じて民意を議会に伝える間接民主制を採用している国であるから、選挙はとりわけ重要な意味を持つこととなる。

 それでは、選挙の持つ機能・役割とはなんだろうか。一般的に言って、選挙には、(1)権利行使、(2)代表を選ぶ、そしてその代表に(3)正統性を付与する、という3つの役割がある。そもそも、現行の方式では、選挙は一度公示(告示)されるとそれに賛成・反対を問わず、強制的に実施・参加させられることになる。その上で投票するしない、すなわち選挙権を行使するしないにかかわらず、自らの保有する権力が当選した政治家(の集団)に日本国憲法前文によれば「信託」されるとともに正統性が付与され、議会を通じて権力が行使されることになる。

 つまり、選挙とは、国民が持つ基本的人権の一つとしての参政権を行使する機会(の可能性)を与えられ、国民が持つ権力・意思を国民の代表機関である議会に信託し、かつ正統性を付与するための「儀式」に他ならない。

 それでは、この儀式としての選挙が持つ3つの機能と投票率の関係はどう考えれば良いだろうか。

実際の投票だけが義務の履行なのか

 まず、(1)権利を行使することに関してであるが、選挙権は基本的人権の一つである参政権に含まれるものである。選挙権の解釈については、政治への参加を国民に保障する権利であると考える「権利説」、公務員の選挙に関与して公の職務を執行する義務と考える「義務説」、そして権利説・義務説の双方の性質を具有すると考える「二元説」とがある。義務説及び二元説にしたがえば、棄権は本来許されず、投票率は高いほどよい。

 しかし、実際に投票所へ行って投票することだけが義務の履行と言えるのだろうか。そもそも、棄権も選挙権の行使として解釈する余地は全くないのだろうか。

 つまり、以前、「投票率が低いって本当に悪いこと?」で触れた「良い棄権」「悪い棄権」であるが、前者については消極的な選挙権行使として解釈できる。この場合、一概には投票率が高ければ高いほど良いとは言えなくなる。投票率が低くて(倫理的な)問題があるとすれば後者の「悪い棄権」であろう。もっとも「悪い棄権」を減らすのは至難の技だ。なぜなら、そもそも投票になんの意義も見出だせない層なので、啓蒙は受け付けない。したがって、例えば投票に行かなければ○○円損をすることになると利己心に訴えかけるか、投票の義務を強調せざるを得なくなる。

 結局、選挙権の行使が何らかの理由で妨げられていたり、「悪い棄権」を選択する国民が絶対多数でない限り、投票率の高低はそれほど深刻な問題ではない。

編集部おすすめの関連記事

関連記事

新着記事

»もっと見る