前回は、高齢者が政治勢力として多数派になりつつある現状と、その高齢者の年金、医療、介護等に関する「本音」をデータや政府のアンケート調査結果により検討してきた。その結果、世代間格差の大部分を占める社会保障制度の改革に関して、若い世代の負担軽減は現状を前提とすると全く望めないことが明らかになった。なぜなら、社会保障制度改革は広く国民の合意が必要であるものの、その決定権を握る高齢者の嗜好が余りに利己的であるからだ。
若者の投票価値を回復するために
要すれば、世代間格差問題の解決と政治過程は表裏一体の関係にあるため、今後、一層の高齢化が進展することを考えると、高齢世代による若者世代に対する世代間搾取が政治的に強化される可能性が強く懸念される。
そこで、高齢者の政治的なパワーを削ぎ、若者世代の政治的パワーを強化するための方途が必要になってくるが、地方に多い高齢者と都市に多い若者の投票価値のバランスを回復し、いわゆるシルバー民主主義に対抗するものと期待されている一人一票の権利回復運動もその一環として理解できるだろう。
ただし、今後都市部においても高齢化が進行するため、一人一票の価値を実現するだけでは、結局、若者の権利は保護されないことになるのは確実で、それが若者の政治的パワー回復の秘策であるとするならば、不十分と言わざるを得ない。
時代の実情に応じて決められていた「一人一票」
しかし、そもそも、一人一票はわれわれの固有の権利なのであろうか。人類の歴史上、洋の東西を問わず、自然権思想が一般化していた時代にあっても、納税額の多寡に応じて投票権が付与された時代(所得の違い)、男性のみ投票権が付与された時代(性別の違い)、肌の色で投票権の有無が決まった時代(人種の違い)、など、誰が一票を持ち投票権を行使できるかは、実は、その時代の実情に応じて決められていた。
私の理解では、日本国憲法が保障しているのは、人類「固有の権利」としての投票権であり、一人一票まで規定しているものではない。なぜなら、現行法制下では、自然権であるはずの投票権は、20歳未満の日本国民や成年後見制度利用者等には与えられていない。
また、最高裁の判例においては、衆議院は2倍程度(ただし、平成23年3月23日判決では2.3倍で違憲状態)、参議院は5倍程度までは合憲とされている。したがって、なんらかの方法で、投票権にウェイト付けする試みは、憲法上も判例上も禁止されているとまでは言えないと考える。要すれば、憲法上の問題というよりは政策上の問題であり、最高裁が一人一票でなくてもよいとの御墨付きを与えているとも言えるだろう。
参議院の存在意義
そうだとすれば、前回も指摘したように2050年には有権者の過半数が60歳以上の高齢者となるような超少子化、高齢化が進行する中にあって、高齢者と若者の勢力が均衡するような選挙制度を構築するにあたっては、(1)いかなる代表原理を採用するか、(2)その代表原理に整合的な選挙制度は何かが問題にされなくてはならない。特に重要なのは選挙制度の哲学となる代表原理であろう。