現代における機密情報管理の難しさ
今回の事件発生後、最も問題視されているのは、なぜ、犯罪歴がないとはいえ、高校時代に停学処分を受けたことがあり、銃携帯許可申請も複数回にわたり却下された過去を持つテシェイラ容疑者のような人物が州空軍で情報部隊に配属され、軍の機密文書にアクセスできるレベルのクリアランスを与えられたのか、という点である。おそらく、この点を問題視されたのだろう、4月26日に米空軍は、テシェイラ容疑者が所属していたマサチューセッツ州空軍第102情報隊に所属する司令官二人を更迭する措置を取っている。
また、この事件で問題点として浮彫になったのは、機密情報の管理の難しさが増しているという現実である。ひと昔前までは、機密情報の漏洩と言えば、実際の文書のコピーを、情報提供相手に何らかの手段で物理的に引き渡すしかなかった。だが、文書のスキャンやPDFファイルへの転換が携帯のアプリで手軽にできるようになった今、不正に入手した機密文書をスキャンし、インターネットに載せることはいとも簡単なことである。
今回の事件も、テシェイラ容疑者が、自分が職場で聴き取った機密情報に関するブリーフィングの内容や、無断でコピーしたスライドなどをネット上に載せたのがそもそもの始まりだ。「たられば」の世界ではあるが、テシェイラ容疑者が機密情報を漏洩する手段が、無断でコピーした文書のハードコピーを誰かに物理的に引き渡すしかなかったとすれば、今回の事件が発生しなかったかもしれないという見方も可能だろう。
今回、機密情報をテシェイラ容疑者が最初に共有した「ディスコード」のようなオンラインのチャットルームをどこまで政府が監視するか、というのは、個人のプライバシーの権利との関係で非常に微妙な問題だ。事件発生直後こそ、国防省における記者ブリーフィングの中で「ディスコードのようなオンラインのチャットルームを今後、国防省として監視する必要があるのではないか」と言った質問が記者団から出ていたが、その後、そのような論調がほとんど聞かれなくなったのは、この問題の機微さを反映している。
例えば、中国政府が国民一人ひとりの言動を、ネット上の発言なども含めて常時監視していることについて、人権侵害の一例として米国は常に批判しているが、今回のテシェイラ容疑者のように、問題行動はあるが犯罪歴はない個人のネット上の言動を、まだ具体的な犯罪行為が発生していない段階から常時米政府が監視する、というのは、実態として中国政府の行為と大差なくなってしまう。たとえ、監視対象を「機密情報に触れる権限を有する個人」に限ったとしても、米国の場合、防衛産業に再就職した退役軍人や、退官後も政府機関からプロジェクト・ベースで業務委託を受けている元政府関係者などもこの範囲に含まれてしまうだけでなく、彼らがオンラインで接触する人間の中には、そのような資格を持たない一般の人も含まれる。
このようなさまざまな背景を持つ人が混在するネット上のチャットグループを「このグループのこの人たちの言動は監視しますが、それ以外の人についてはタッチしません」というのは、議論として説得力に欠ける。つまり、「安全保障に脅威を呈すると信じる重大な理由」がない限り、軍関係者を含め、米国人の言動を常時監視することは実態として不可能なのだ。
再考すべき「機密情報」への考え方
このような点について、4月18日付でハーバード大学法科大学院が運営するオンライン雑誌「Harvard Law Today」が掲載したティモシー・エドガー氏(同大学院講師)へのインタビューは示唆に富んでいる。エドガー氏は、ハーバード法科大学院卒業後、オバマ政権時代に、エドワード・スノーデン容疑者によるウィキリークス事件を受けて、国家安全保障会議で米政府の機密情報取り扱い制度の改革に携わり、公職を辞した後、『スノーデンを超えて:プライバシー、大衆の監視、国家安全保障局改革の難しさ(Beyond Snowden: Privacy, Mass Surveillance, and the Struggle to Reform NSA)』という本を2017年に発行している。機密情報の保護と、個人のプライバシーのバランスに関する言論活動を続けている弁護士である。
エドガー氏は、今回の事件で漏洩された機密情報の量は「かなりのもの」で、「米国の国家安全保障および外交関係にネガティブな影響を与えるもの」であると断定。今回の事件がもたらしたダメージについては「国家情報官を筆頭に、関係各省庁の情報機関が省庁を横断して検証している最中」であると述べつつ、同盟国や友好国との関係について「『自国の大事な情報を守るためには米国と共有しないに限る』という印象を改めて与えてしまったことは、今後、大きく影響する」という見通しを示している。