遠い記憶を揺さぶってくれる
不思議な旅
ともあれ、私が、この本に魅了されたのは、まず第一にサーカスというものの魅力によってだ。そうして、著者の幼い頃の記憶をたどる旅は、読者であるこちら側の遠い記憶をも揺さぶってくれる。
たとえば、当時の綱渡りは、女性でも7キログラムもあるバーを持っていたというくだりを読んだ瞬間、ふいに忘却の彼方から、ある映像が立ち上がった。それは、高いところで、左右に小さく揺れる綱の上を、少ししなったバランス棒を手に、そろり、そろりと進んでいく女性の姿だ。もっと言えば、浮かんだのは、シルク・ド・ソレイユの芸人のような八頭身ではなく、昭和の日本人の典型といった体形の女性のむっちりとした太腿だ。自分もまた、幼い頃にサーカスを観たのだ。
次に思い出したのは、父親がどこかから仕入れてきたサーカスのチケットが3枚、オレンジ色の炬燵台の上に置かれた絵だ。5人家族だったから、おそらく姉は我慢し、妹と私とどちらかの親だけが行ったのだろう。
だがそれは、著者も呟くように、どこかで目にした映像や夢を本物の記憶と錯覚しているのかもしれない。著者より20歳ほど年上の私が子供時代を過ごした福岡県には、右肩上がりの時代にも、どこか戦後の気配が残っていた。
町には方々に雑草だらけの空き地や広場があり、祭りには、3本足の女や蛇女といった怪しげな見世物小屋も立った。私たちがチケットを手に出かけた、動物や高度な曲芸が見られる大テントのサーカスは、その後に出現したものだった。
ふと浮かんだその記憶の断片が果たして本物で、それはキグレサーカスだったのかを確かめるために、一つ下の妹に電話をすると、彼女は「サーカスには行った。木下大サーカス、熊の玉乗りを観た」と言う。何でも当時、熊がいたのは木下だけだったそうだから、妹の記憶の方が正確そうだ。ところが、彼女も一呼吸おいて、こう言い添えた。
「でも、後からテレビか何かで観たのを、自分の経験だと思い込んでいるのかもね」
父は数年前に他界し、母も今年、逝ってしまったから、もはや確認のすべもない。それでも自覚したのは、「サーカスに行けば人は童心に帰り、しょんぼりした人も活気を取り戻す」という今の私の感覚は、言葉も話せない幼い頃に刷り込まれたものだったということだ。
ロシアに初めて行った時も、気がつけば、地方の小さなサーカスで、蛇を首に巻いて写真を撮られていた。ユーゴスラビア紛争直後のセルビアでも、「現金が足りず、娘に楽しいことの一つもしてあげられない」とうなだれる友人一家を、町外れにテントを張っていたイタリアのサーカスに招待した。
もう一つ思い出したのは、少し困ったような表情を浮かべる小柄な少年の姿だ。それは小学生の頃、隣のクラスに越してきた「サーカスの子」だ。