「姑と同居する女性にとっては、唯一羽を伸ばせる場所である一方、嫁の労働力確保の観点から出部屋生活を早めに切り上げさせる姑もいました。また、伊吹島の生活は完全に漁業に依存していました。特に戦前の島の漁業は常に死と隣り合わせの営みで、船の神様へのおそれが強かったため、穢れに関わる『規範』が島全体で共有されるほどの影響力を保っていたのでしょう。女性たちにとって、出部屋利用の動機や意義は一つではありませんでしたが、姑と同居していなければ、『穢れを避けるために出部屋に入る』という限られた選択肢に違和感を覚える場合もありました」
その後、伊吹島の産業構造や家族構成が変化し、女性たちは島外の病院で出産後、実家で過ごすようになり、出部屋は最終的に閉鎖された。穢れ観は島全体の「規範」から個人の意識の問題へと変化していったのである。
合意形成なき「規範」は
生きづらさにつながる面も
子どもを持ちたいと願う世代の背中を押すため、政府が「異次元」と称してメッセージを発することは重要であろう。だが、それにより子どもを望まない人や何らかの事情により産めない人たちの〝生きづらさ〟につながるようなことがあってはならない。また、冒頭の「若者の努力不足」という認識も、ある意味で世の中が勝手に作り上げた「規範」になり得るものであり、増幅しないよう留意が必要だ。
伏見氏は、著書について「あくまでも歴史研究であり、産屋の善しあしを評価したものではない」としつつも、現代の少子化対策のあり方について、次のように述べる。「個人の行動を縛る、合意形成なき『規範』によって、人々が思考停止してしまうことは避けたいですね。『これしか選択肢がない』という社会ではなく、一人ひとりの自己決定や多様性が尊重された先に、『少子化問題』が解決されていくのであれば、良いのではないでしょうか」。
産屋の歴史から学べることは多い。