映画「RRR」では銃弾のエピソードが冒頭で披露されたが、現地人を「虫けら同然」とみなしていれば、決してあり得ない話ではない。映画は二人の男が総督夫妻を敵に少女を救い出せるかという話だが、エンターテイメントでありながら、植民地における英国人の残酷さがこれでもかというくらい描かれる。もちろん、やさしい英国女性も出てくるが、例外中の例外の扱いだ。
舞台である1920年の〝現実〟
インド映画史上最高の製作費7200万ドル(約95億円)をかけた大作の時代設定は1920年である。2018年に撮影が始まり、20年の公開を見込んでいたらしいが、コロナ禍で撮影が難航し22年に公開にこぎつけた。
1920年という設定は単に植民地時代というより、いまから100年前に力点が置かれているようだ。たった100年前、世界はこうだったのだ、と。
1920年は英国がフランスなどとともにドイツやオスマントルコに勝利した第一次世界大戦(1914~18年)の直後に当たる。大戦で英国はインドをはじめ豪州、カナダ、南アフリカなど英領から約250万人の兵員をかき集めた。
インドからは30万人が動員され、非戦闘員120万人を合わせれば150万人以上が英国のために戦った。
大戦での死者数は英国が約70万人、これにインド6万4000人、豪州5万9300人、カナダ5万6700人とつづく(「The Rise and Fall of the British Empire」)。
<彼らはみんな、戦うときと死ぬときは平等なのに、法律による保護や参政権や移民に関しては平等ではなかった>(『国家と人種偏見』)
『南アジア史4』によれば、インド国内は完全な戦争協力体制下におかれ、税は戦費調達のために急上昇し、インフレで飢餓や疫病が広がり、1918、19年にはいくつかの都市で食糧暴動が起きている。
<第一次大戦は、民族自決のための戦争といわれながら、その大義名分は、イギリスからの自治を望むインドには適用されなかった>(同書)。
戦後、英国はユダヤ人にパレスチナを保障する宣言を発し、アラブ諸国には「民族自決」を適用したが、インドは除外された。
大戦中の1916年、<インドの国民会議派はインド人の戦争犠牲と引きかえに「インドに自治を」と要求し始める。17~18年の大英帝国戦争会議の場でインドの代表は、自治領内における人種差別の問題を明瞭に提起した>(『国家と人種偏見』)。
だが戦後、インドに自治は与えられなかった。
<第一次大戦の戦闘に非白人が広範に参加したことが、アフリカとアジアのその後の民族主義の発展に「非常に大きな影響」を及ぼしたことは明かである>(フランスの歴史学者、イマニュエル・ガイス)。
戦争という異常な環境がアジア、アフリカの人々に反差別意識を目覚めさせた。どうにか生還した者たちは政治に目覚め、のちに反植民地主義運動の旗手となる。