2024年5月17日(金)

WEDGE REPORT

2023年8月7日

 この批判に対しインドの研究者や批評家から「インドでの残虐行為を無視するものだ」など、さまざまな反論があったが、ここで詳しくは触れない。ラージャマウリ監督自身、公開前に「映画は史実ではなく、フィクションしか描いていない」と語っており、名誉教授の批判に応える気はないだろう。

変わりつつある「描かれる側」と「見る側」

 史実をもとにエンターテイメントを批判するとしたなら、どれほど多くの映画、特にハリウッド作品がその標的になるかしれない。

 あえて一例を挙げれば、「RRR」と同様世界中でヒットし、現在も最新作が公開中の「インディ・ジョーンズ」シリーズがある。悪役の総督夫人として「RRR」に登場した俳優、アリソン・ドゥーディは偶然にも「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」(89年)の出演で知られている。

 このシリーズの第二作「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(84年)の舞台はインドである。米国の考古学者、インディ・ジョーンズが降り立ったインドでは、ターバンをかぶった男たちが晩餐で、羽をはがしたカブトムシを頬張り、目玉がゴロゴロ入ったスープに目を細め、猿の脳みそをシャーベットのようにうまそうに平らげる。登場する悪役は禍々しいインドのカルト指導者で、彼は生け贄の心臓を素手でえぐり出す。

 時代設定は「RRR」よりさらに下った1935年だ。

 名誉教授が言う「20世紀の人食い人種」とまではいかなくとも、アジアの奥地の気味悪さ、異常さがこれでもかと描かれる。それを、筆者を含めた世界の多くの観客はさして疑問も持たずに楽しんできた。そして、製作総指揮のジョージ・ルーカスも監督のスティーブン・スピルバーグも映画界の英雄として現在に至る。

 作品を史実に照らせば、おかしなところはいくらでもある。映画だと割り切るか、偏見、ステレオタイプを広げる害悪だと糾弾するか、議論の割れるところだ。

 要は、世界規模のヒット作というジャンルがあるとすれば、その中でプレイヤーが変わりつつあるということだ。

 常に「描かれる側」「見られる側」、あるいは「背景」にすぎなかったインド人がいまや、ハリウッドと同等の技術と着想で、かつての大英帝国を一方的な視点で見ている。「見る側」に回り始めたということだ。

 そのインド人が見た大英帝国に対する視線を、「しょせんはインド映画」といったさげすみ一つなく、世界が当たり前のように受け入れ喝采を浴びせている。

 100年前を舞台にした「RRR」は40年前のヒット作「魔宮の伝説」の裏返しでもあり、旧植民地、あるいは最近よく耳にするグローバル・サウスから見れば、どうしたって、時代の変遷を考えざるを得ない記念碑的作品と言えるだろう。

参考文献
『コンゴ河―その発見、探検、開発の物語』(ピーター・フォーバス著、田中昌太郎訳、草思社、1979年)
『世界歴史大系 南アジア史4ー近代・現代ー』(長崎暢子編、山川出版社、2019年)
『The History of the 20th Century』(Martin Gilbert、HarperCollins、99年)
『国家と人種偏見』(ポール・ゴードン ローレン著、大蔵雄之助訳、阪急コミュニケーションズ、95年)
『ジェントルマン資本主義の帝国Ⅱ』(P.J. ケインら著、木畑洋一ら訳、名古屋大学出版会、1997)
『The Rise and Fall of the British Empire』(Lawrence James、St. Martin's Press、97年)

   
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