話はそれるが「非白人」でありながら経済的奇跡を起こし、日露戦争の勝利で世界を驚かせた日本が第一次大戦後、「有色人種の盟主」にまつりあげられていく。
このころ、日本が反植民地主義を支援するのを危惧した英国は<インドでの帝国支配を黙認させるよう説得するための譲歩が必要だったし、極東におけるイギリスの地位にとって決定的な日英同盟を強化する必要もあった>(「ジェントルマン資本主義の帝国Ⅱ」)。
インドでの民族主義の広がりは、英領アイルランドの自治運動に加え、<日本の経済的奇跡、ロシア革命(1917年)の影響>が確かにあった。
映画が設定する1920年は、帝国、植民地主義の側からすれば混乱の時代だが、自分たちの土地に土足で入り込まれ天然資源を奪われてきた植民地にしてみれば、「正当な要求」がようやく人々の口に上り始めた年でもあった。
英国から出た反論
映画の中で描かれる英国人の蛮行は現実を照らしていないという批判もある。
ケンブリッジ大学のロバート・トゥームズ名誉教授(歴史学)が英スペクテイター誌(2022年7月19日号)にこう寄稿している。
<「RRR」は1920年代に設定され、悪役がイギリス人であることに驚きはない。だが、英国の主要人物、スコット総督とその妻は異常に意地が悪く、驚くほど愚かに描かれている。スコット一家はインド人少女を誘拐し、その母親を殺そうとする。(映画では)不幸なインド人がイギリス人から残酷な拷問を受け、国内を徘徊する英国の役人や兵士が気ままに犯罪を犯す。こうした描写は完全なる無知か意図的な不正直の表れだ>(筆者訳、以下同)
1920年代、インドで植民地行政に当たった大半はインド人公務員であり、英国人が映画のような暴虐の限りを尽くすことはあり得ない、という指摘だ。仮にあったとしたら、<この映画の観客は、インドの同僚や上位の者たちが、ならず者の英国人の殺人を黙認していたと考えなくてはならない>。
そして、いまや英国は被害者だと訴える。
<他国を中傷するこのような映画の作り手は粗雑なレイシストとみなされる。20世紀のナイジェリアの支配者が人食い人種とされ、ヒンズー教の政治家が未亡人を生きたまま焼き殺す。そんな映画を想像してみてほしい。だが、誰も思いつかないし、実際につくりもしない>
<英国人は過去数世紀、世界で大事な役割を果たしてきたため、友人だけでなく敵を増やした。民族主義的な多くの物語で、私たちは悪役になっている。それが、自国の英雄物語をでっち上げる手立てだからだ>
<「RRR」のような映画は、隠された真実を明らかにするものでも、真の大衆感情を表現するものでもない。単に人工的に感情をあおり立てるものだ。作り手の目的は、人を楽しませ、金を稼ぐことだけだ>。<笑ってこのメロドラマを楽しむべきなのか。多分、そうだろう。しかし、ばかばかしいのは大英帝国の悪行を多くの人が鵜呑みにしてしまうことだ>