2024年12月9日(月)

世界の記述

2023年5月10日

 アフリカのスーダンで再び戦乱が起きている。再びというのは、この地では1956年以来、いや遡れば有史以来、延々と戦争が繰り返されてきたからだ。

スーダンでの武力衝突は停戦への対話が進められているものの、国内での混乱は続く(AP/アフロ)

 気候も歴史も民族も違うが、同じアフリカ大陸のコンゴ民主共和国(旧ザイール)も戦乱が絶えない地域と言える。が、西アフリカから南部、東部アフリカを眺めても、これほどの地はない。

 タンザニアのように長らく平和が続いた国もあれば、西アフリカの小国のように、クーデターが起きても内乱が短期で終わる国もある。スーダンはコンゴ同様、特異な地であり、アフリカを象徴するわけではない。

「国」ではなく、「土地」と言えるスーダン

 では、なぜ戦いが続くのか。ざっと歴史を辿れば、その理由がかすかに見えてくる。

 スーダンは、2011年に分離独立した南スーダンも合わせれば、ナイル川上流のサハラ砂漠からサヘルと呼ばれる半砂漠、サバンナまで南北約2000キロメートル、東西約1700キロメートルにおよぶ広大な土地を指す。面積は現スーダンが日本の約5倍、南スーダンも1.7倍もの広さだ。

 先ほどから国ではなく土地と呼んでいるのが気になる読者もおられるだろう。スーダンは近代以前はエジプト、19世紀末からは英国の植民地下にあり、1956年に独立した。あるいはさせられた国である。全土の民衆が反植民地運動の末、自治を勝ち取ったわけではない。国境線はもちろん、まともに全国統一もなされないまま、便宜上、国家となったため、土地という言葉がふさわしいと判断したためだ。

 一般に先進世界では、人類が住み始めた数十万年前から紀元前数千年前までの長きにわたり、遊牧、定着、小集団の形成、大集団への統合、戦い、小集団への回帰、再統合が繰り返されてきた。歴史上、無とみなされている先史時代については、「Dawn of Everything」(グレーバー、ウェングロウ著、2021年)に詳しい。

 有史時代が始まるのは紀元前2500年から1500年ごろのケルマ王国の時代で、その後、エジプト新王国(紀元前1570年ごろ〜同1070年ごろ)に吸収され、220年もの反乱の時代が続く。

 紀元前11世紀までに土着のクシュ王国がエジプトから独立するものの、常にエジプトやアラブ、オスマン帝国などから侵入され続ける。

 時代はくだり、ポルトガルなど欧州勢がアフリカの大西洋岸に入り込む紀元14〜15世紀には、アラブ遊牧民がこの地に定着を始める。土着の黒人たちは奴隷として運び去られ、1811年には、イスラム社会の元奴隷を出自とする軍事騎士階級マルムークがこの地の北部の町ダンクラを「黒人奴隷の供給地」にした。奴隷として捕らえられた現地人をエジプトやオスマン帝国向けに売りわたす拠点にしたのだ。


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