墜落した飛行機の様子は、即座に撮影され、メディアを通じて拡散された。撮影の準備が周到になされていた跡がうかがえる。プーチン氏を〝裏切った〟人間の最後がどうなるか、世界は戦慄をもって目の当たりにした。
2カ月の空白
囚人兵らを大量に雇い入れ、ウクライナ侵攻の前線に投入するという異常な手法で世界に知られたワグネルだが、その兵力は強力だった。プーチン大統領が明確に言及したように、ワグネルはアフリカでその基盤を築いていった。アフリカ諸国の独裁政権を黒子として支え、徹底的な暴力で各国の反政権勢力を叩き潰し、その代わりにエネルギーや希少金属などの権益を獲得してきた。
ワグネルはそうして蓄財し、装備を拡充していったが、武装反乱が収束した後にロシア国防省が接収したのは、戦車や装甲車両、対空ミサイルなど、実に2000以上の武器や2万丁以上の銃器にのぼったという。
ただ、プリゴジン氏があっけない最後を遂げるなか、そこには一つの疑問が残された。それはなぜ、反乱を起こしてから2カ月間もの間、プリゴジン氏は軟禁状態にも置かれず、ロシアやアフリカ、ベラルーシを自在に移動することができたのかという疑問だ。死の直前には、アフリカと思われる場所から動画まで投稿するなど、あたかも無罪放免であったかのようにふるまっていた。
その疑問を解くカギは、ワグネルをめぐる状況から浮かび上がる。プリゴジン氏は無法者ではあったが、ワグネル内部では尊敬もされ、彼を慕う幹部や戦闘員は少なくなかった。ある戦闘員はロシア語メディア「メデューサ」に、「残念なことだが、もう何をすることもない。もし武装反乱直後に彼が殺害されていたならば、われわれも反応(何らかの対立行動)しても不思議ではなかったが、今となっては何もしないだろう」と発言している。
その理由について「もう、ワグネルの兵士らは新しい人生を歩み始めている。休みを取る人間もいれば、国防省のために働いている人間もいる」と語った。
つまり、反乱が収束して2カ月を経た今となってはもう、ワグネルは同様の行動を取る能力を持っていない実態が浮かびあがる。別の元兵士は「一部の勢力はベラルーシにとどめ置かれ、他の部隊はアフリカにいる。ロシアに残った一部勢力もバラバラになった」と語る。
武器もロシア軍に接収された後では、どのような行動も取りようがなかった。そのような状況で、プリゴジン氏は死亡した。「もう、誰も何も感じないだろう。2週間ほどSNSで騒ぎ立てて、それで終わりだ。あとは皆、忘れてしまう」と元戦闘員は語る。
他の幹部も
航空機が爆発したとき、機上にはワグネルの実質的なNo2であるドミトリー・ウトキン氏らも搭乗していた。ある関係者は、「ワグネルでは、ウトキン、プリゴジンの2人は同じ飛行機に乗ってはならない(同時に2人が殺害されるリスクを避ける)ルールがあった。なぜそのような行動を取ったのかがわからない」と語る。詳細な理由は不明だが、いずれにせよ、ワグネルは再起不能の打撃を受けたことは間違いない。
またロシア当局はプリゴジン氏の武装反乱直後に、アフリカにおけるワグネルの勢力を、ロシア軍傘下にある民兵集団「レダット」と、クリミア半島の武装組織を率いるアクショーノフ氏の私兵集団「コンボイ」が取って変わるとの見方も示していた。仮に事実だとすれば、ワグネルが持つアフリカでの権益をめぐり、すでに奪い合いが起きている可能性がある。ワグネルに守られてきたアフリカの独裁政権は、ロシアによる保護が確実に提供されればよいのであって、その主体がワグネルである必要は必ずしもない。