8月23日に発生したロシアの民間軍事会社「ワグネル」のトップ、エフゲニー・プリゴジン氏の墜落死は、同氏が率いたプーチン政権への反乱劇からちょうど2カ月というタイミングで発生した。反乱の収束直後に殺害されても不思議ではない事態を引き起こしたプリゴジン氏が、2カ月間とはいえ生き長らえた背景には、事前に5万人もの規模を持つワグネルを徹底的に無力化し、二度と政権に歯向かうことができない状態に追い落しておく時間が必要だった可能性がある。
さらに、そのタイミングに合わせてプリゴジン氏との関係が指摘された軍幹部や、政権に批判的な軍人らが相次ぎ排除された。それらは来春の大統領選をにらみつつ、プーチン政権が再選の障害となりうる有力者らの〝粛清〟を本格化させている姿にも映る。ウクライナ侵攻は依然終わりが見えず、ロシアは巨額の軍事費投入で財政悪化が鮮明になりつつあるなか、プーチン政権は今後も容赦ない粛清を加速する可能性が高い。
プーチンは「裏切り」を許していなかった
「私はプリゴジン氏を、1990年代のはじめから知っていた。極めて長い間になる。彼の人生は厳しい運命に満ち、そこで犯した失敗というのも深刻なものだった」
「彼はビジネスマンとしての才能にたけていた。彼はロシア国内だけでなく、アフリカでも働いていた――。そう、石油や天然ガス、希少金属のビジネスに携わっていたのだ。私が聞く限り、彼は昨日、アフリカから戻ったばかりだったという」
「事故をめぐっては、徹底的な調査が行われるという。その結果が出ることを待ちたい」
プーチン大統領は8月24日、ウクライナ東部ドネツク州の武装勢力トップであるデニス・プシーリン氏との会合で、プリゴジン氏の死について初めて言及した。あくまでも、プシーリン氏が飛行機墜落について言及し、それに答えるという形をとっているものの、プーチン氏が事前にこの発言を用意していた事実は明白だった。
「彼が人生において犯した失敗は、深刻なものだった」。その一言で、プーチン氏の発言の意図は鮮明にわかる。6月にプリゴジン氏が起こした武装反乱を、プーチン氏は決して許してはいなかった。プリゴジン氏は、1990年代からのプーチン氏の盟友であったにも関わらず、無残な最後が待っていた。