2024年5月18日(土)

教養としての中東情勢

2023年11月6日

 ハニヤは「〝ハマスのビンラディン〟と称されるまでの大物となった」(ベイルート筋)が、イスラエルから攻撃を受けたり、暗殺の危険に直面したりすることなく、ドーハからハマスの経営を担っている。今回の軍事衝突の引き金となったハマスのイスラエル領内への奇襲攻撃も当然知っていただろう。海外にも自由に往来、最近はイランを訪問して最高指導者ハメネイ師と会談したという。

「アラブの春」が転機

 カタールはアラブの民衆がリビアやエジプトなどの独裁政権を次々に打倒していった2011年の「アラブの春」を転機に各地のイスラム勢力の支援に乗り出した。ハマスに対しては、12年にドーハに事務所を開設させる一方、当時のハマド首長が世界の元首として初めてガザを公式訪問、数億ドルの援助を確約した。ガザの役所に働くパレスチナ人の給与はカタールが払っているといわれる所以だ。

 ワシントン・ポストによると、ハマスの事務所開設は、カタールの意向だけではなく、米国とイスラエルが黙認したことが大きい。ハマスの最高幹部らを野放しにし、イランなどに潜伏されるより、ドーハに滞在させておく方が「監視しやすい」という思惑があったためだ。

 イスラム勢力を支援するといったカタールの「独自路線」は小国の存在感を示す伝統的な手法だ。例えば、90年代、カタールはアラブ諸国が一部を除いてイスラエルとの関係を忌避していた中、イスラエルに貿易事務所の開設を認めている。首長がタミム新首長に交代してからもこうした傾向は続き、ハマスの源流であるエジプトのムスリム同胞団への支援、イランとの関係強化、サウジアラビアなどに批判的な放送局アルジャジーラへのテコ入れを図った。

 しかし、こうした独自の動きはイスラム原理主義を脅威と見なす各国の反発を招き、サウジアラビアやエジプトなど4カ国は17年、カタールと断交、経済封鎖に踏み切った。この窮状に手を差し延べたのがトルコのエルドアン大統領だったが、カタールと同じようにイスラム勢力を支援していた関係からだった。

 カタールはウクライナ戦争でも仲介者として、ロシアに拉致されたウクライナの子ども4人を送還させた。このほか、アフリカで人質になった米国人やシリアでイスラム国(IS)に拘束されていたジャーナリストの解放などでも調停を成功させた。


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