この連載で何度か登場している、日本の大学に留学した経験を持つ知日派知識人であるK氏の説明を紹介する。秀吉は明への侵攻を目標とし朝鮮王に秀吉軍の案内役を務めるように要請する親書を送った。K氏によると当時の朝鮮王は秀吉の親書の真意を確かめるために正副二人の特使を派遣した。特使の報告を聞いた朝鮮王は秀吉が本気で朝鮮・明への侵攻を考えていないと判断ミスを犯した。そのため防衛準備も不十分であった。
しかし、秀吉軍に連戦連敗してピョンヤンまで侵攻された真因は当時の朝鮮の政治体制の欠陥や為政者の怠慢にあることは明白とK氏は指摘した。ところが韓国の歴史教育では秀吉軍による蛮行ばかりを強調して韓国国民の間に被害者感情だけを増殖している。これでは“歴史に学ぶ”ことはできないと批判した。
李氏朝鮮時代の庶民は為政者の搾取により栄養不足
ソウルの街を歩くと韓国の若者が男女ともに背が高いことに気づく。20~30歳の平均身長で韓国人は日本人より男子で4センチ強、女子で4センチ弱高いというデータがある。戦前、つまり日本植民地時代には朝鮮人は日本人より背が低く痩せていたというから、韓国人は過去30年くらいの間に日本人を身長で追い抜いたようだ。
K氏によると高句麗・百済・新羅の三韓時代には朝鮮人は中国の山東省人のように背が高かった。ところが李氏朝鮮の時代に庶民は王家と貴族階級に搾取されて満足に食べられず栄養不足で身長が伸びなくなった。それが戦後高度経済成長を経て牛肉など動物性たんぱく質を十分に摂取するようになって、三韓時代から継承されてきたDNAに栄養が加わり日本を追い抜いたという学説があるらしい。
K氏によると韓国では日本植民地時代を批判して否定する余り、それ以前の李氏朝鮮時代を美化する傾向があるという。上述の学説が示すように李氏朝鮮時代は特権階級が民衆を搾取していた実相を歴史教育でも教える必要があると強調した。
さらに興味深い話を聞いた。秀吉軍は5万人もの朝鮮人捕虜(大半は農民)を連れ去った。しかし陶工などを除いて大半は特殊技能を持たず、日本に連れ帰った秀吉軍の侍たちは捕虜を持て余してしまった。その結果、大半の朝鮮人捕虜はポルトガル人などの奴隷商人に売られて、アジアやアフリカや欧州にまで送られたという。
この大量の朝鮮人奴隷の供給により世界中で奴隷の売買価格が暴落した。そして現在でも南欧には“コレ”と呼ばれる朝鮮人奴隷の子孫がいるそうだ。