何よりも、ナイが米国は国内の開放性を維持し、民主的価値観を守るべきだと指摘している点は、ジョージ・ケナンがX論文の中で3つの重要事項の一つとして指摘した「デモクラシーの強みを証明し続けるべきだ」と重なる。
ナイが指摘する米国の優位性の議論に強い異論はない。しかし、米国のように中国から地理的に遠距離の位置に存在する大国はそれで良いだろうが、中国に近接した位置に存する諸国にとっては、米国の中国に対する優位性だけで、その自己主張の強い、腕力で周辺諸国をねじ伏せようとする習近平政権下の中国の拡張政策を抑止することが出来るだろうか。ナイの議論は、そうした諸国のその疑問への回答としては不十分に思える。
ナイの論理建てには、オバマ時代の米国のアジア政策を彷彿させるところがある。その政権下の数年間の情勢の推移を思い返せば、中国は米国からの圧力の遥かに軽微な環境の中で、南シナ海で、また東シナ海で、周辺諸国の反対に聞く耳を傾けず、一歩また一歩と、尊大に地保を拡大し続けてきた。その折の米国の対応は、その後の戦略政策に比較すれば、随分と「寛容」に過ぎた。
異なる日本と米国の重要性
中国が引き起こしている周辺諸国との紛争が、米国一国の安全保障を短期的にどの程度深刻に侵害するだろうかという点に関するナイの分析と見解は大きくは間違っていないのであろう。また、中国が米国の存亡を危うくする実力はないという分析も正しいだろう。しかし米国以外のインド太平洋諸国に位置する諸国にとっては、中国の昨今の振舞は深刻な安全保障上の脅威に膨らんできている。
「第一列島線の鍵を握るのは、米国の緊密な同盟国であり、米国が軍隊を駐留させている日本だ」というが、米国にとっての日本の重要性と、日本にとっての米国の重要性は同心円ではない。一定領域では重なり合うが、重複しない領域もそれなりに存在する二つの円の並列に表される。
近未来において、その重複領域がどの程度大きくなるのか、また小さくなるのか、不断の検証が必要となろう。