年の瀬を迎えても、これほど暗澹たる思いに駆られることはそう多くはない。好転する兆しのない日中関係である。
日中首脳会談が11月16日(日本時間17日)に、そして日中外相会談が同月25日、それぞれ米・サンフランシスコと韓国・釜山で開かれた。1年ぶりとなった首脳会談では両国間の懸案は何ひとつ解けず、外相会談でも中国は従来の主張を居丈高に繰り返しただけだった。
新聞各紙の社説の見出しも「戦略的互恵の内実が重要」(毎日)、「互恵の確認では物足りない」(読売)など、日本にとって成果の乏しい会談であったことへの評価は厳しいが、両会談を通じて明らかになったことは、中国は大国意識を全面に押し出し、日本に対中姿勢の改善を求める立場を鮮明にしたことだろう。裏を返せば、日本はこれから長く続くであろう「試練の時代」への覚悟を持たなければならないということだ。
大国化した中国の居丈高な振る舞い
今回の両会談でキーワードとなったのは、「戦略的互恵関係」という言葉だ。会談の成果が乏しい中にあって、日中の両首脳が顔を合わせ、戦略的互恵関係の包括的推進を再確認したことについて新聞各紙は一定の評価をしてはいる。だが、問題の本質は「戦略的互恵関係」を巡る解釈が、日中間で大きくずれてしまったということではないだろうか。
そもそも「戦略的互恵関係」とは、2000年代前半に靖国神社への参拝など歴史認識を巡って小泉純一郎政権下で政冷経熱となった日中関係を改善するため、安倍晋三首相が2006年に訪中し、当時の胡錦涛国家主席との会談で合意したものだ。その内容は、両国間で互いの立場が違っていても、安全保障やエネルギー、環境、経済などさまざまな分野で共に協力し、貢献する中で、互いに利益を得て日中関係を発展させていこうという考えだった。
その後、胡主席が08年に来日、福田康夫首相との間で、戦略的互恵関係の推進を掲げた共同声明に署名するまでに至ったが、10年に中国が国内総生産(GDP)で日本を抜いて世界第2位の経済大国となると同時に、戦略的互恵関係という言葉は外交の表舞台から姿を消し、日中は次第に対立の時代へと突入する。
まず同年9月、尖閣諸島を巡って中国漁船による海上保安庁巡視船への衝突事件が発生、翌11年には、東日本大震災に乗じて中国は東シナ海で大規模な海軍演習を実施するなど行動を活発化させ、一部が私有地だった同諸島を国有地化した日本に対し、13年になって中国は尖閣諸島を含む東シナ海に防空識別圏(ADIZ)を設定、海上自衛隊の護衛艦に中国海軍のフリゲート艦が火器管制レーダーを照射するといった暴挙を企てるに至った。