2025年3月20日(木)

災害大国を生きる

2025年2月15日

 昨年12月13日、輪島市町野町。気温5度。ユンボから降りてきた大石賢斉さん(43歳)は驚くことにサンダル姿だった。泥で汚れた足を水たまりでこともなげに洗った。

大石賢斉さん。午前中は診療所で医師として働き、午後はボランティア作業を行う(WEDGE)

 「寒くないんですか?」と尋ねると「冬はこれで3時間雪道を走るんですよ」と笑う。大石さんは約70年続く診療所「粟倉医院」の3代目で9年前に町野に戻ってきた。元々は外科医だ。ユンボを運転できるようになったのはつい1カ月前だというのに、トラックの荷台に器用に泥を積み上げている訳が分かった。

 大石さんのユンボが泥を載せる2トントラックを運転するのは菅由美子さん(64歳)。菅さんは、東日本大震災以降、災害が起きるたびに駆けつける、自称「スーパーはちゃめちゃボランティア」だ。

 あだ名はカンちゃん。能登には地震発生直後の1月18日に珠洲市に入った。宮城教育大学を卒業後「私は普通の先生にはなれない」と、米ペンシルベニア州キンバートンで障がい者と共に牧場を運営するプロジェクトに参加したり、園芸を通じ人の心身を回復させる「園芸療法」に携わったりした。

菅由美子さん。廃棄場所まで何往復もし、そのたびに書類を提出する必要があった(WEDGE)

 「だから、トラックや重機を動かすのは慣れているの」と菅さんはさらりと言う。小誌記者が心配になるくらい、前につんのめるほどの大きな水たまりの中もぐんぐん進み、土砂の廃棄場所までトラックを走らせる。

 大石さんがユンボを使えるようになったのも、菅さんのおかげだ。11月、東北の重機リース会社に頼んで操作の資格を取得できる講習会を開き、大石さんを含め町野の住民が約20人参加した。そして、トラックとユンボを無償でレンタルさせてもらった。「非常時には、カンちゃんみたいな型破りな人がいてくれると本当に助かります」と、大石さん。


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