5000人以上──。これは、1995年の阪神・淡路大震災から令和6年能登半島地震までの30年で、災害関連死に数えられた犠牲者の数である。
「災害関連死」とは何か。
端的に言えば、災害後の死である。
自然災害で犠牲となるのは、直接的な被害をこうむった人だけではない。災害による環境の変化や、先の見えない避難生活の疲労で、心身の健康を削られて、持病を悪化させたり、体調を崩したりする人は少なくない。いや、その表現には語弊がある。住み慣れた町が破壊され、大切な人を喪った被災者が、災害前と同じように生きていけるはずがない。それは、「災害弱者」と呼ばれる高齢者や障害者、基礎疾患を持つ人に限らない。
この30年、災害関連死を含めた自然災害による犠牲者は、約3万人に上る。実に、犠牲者の16%強が発災から時間を経て、命を落としたのだ。
筆者は、十数年にわたり災害関連死を取材し、災害後に命を落とした犠牲者の遺族にインタビューしてきた。
なぜ、大災害を生き延びた命が、喪われてしまったのか。裏を返せば、その問いは私たちの社会へと切っ先を向ける。どうすれば、我々は、彼ら彼女らを救えたのか、と。
この問いを思い返すたび、よみがえるのが、ひとりの遺族の言葉である。
宮﨑さくらさん(当時37歳)は、2016年の熊本地震で4歳の次女、花梨さんを亡くした。持病だった心臓病の手術を受けた花梨さんは入院中に被災。病院の耐震問題で治療が継続できなくなり、熊本から福岡の病院へ搬送されたが、5日後に幼い生涯を閉じる。さくらさんは言う。
「私が考えてほしいのが、どうやったら花梨が助かったのか、ということ。もしかしたら、病院の耐震設計の問題があったかもしれない。災害時に転院する場合はどうするのか。花梨のような子って、日本中にたくさんいますよね。いままさにICU(集中治療室)で治療を受ける子も、手術を待つ子もいる。そんな子どもたちが入院する病院を今日、明日、地震が襲うかもしれません。どうやったら花梨が助かったかを考えることが同じような子どもたちを守ることにつながるのかな、と。もう2度と、誰にも、私と同じような思いを味わってほしくはないんです」